どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

追記

2007年09月24日 | 日記


ある人の日記を読み



また 亡くなった義兄に



そして 残された姉に



寂しさも 愉しからずや 生きてこそ(粗忽)
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葬儀を終えて

2007年09月24日 | 日記
3時に起きてバタバタと支度をした

早朝の山手線の本数がこんなに少ないとは思っていなかった 

発車時刻7分前に東京駅に着き お茶だけ買って乗り込む

二度の乗り継ぎをして福井駅に着いたのが バス発車数分前

駅前のバス停を探すより 何度か通って利用しているバスターミナルのほうが確実と またまた走る

この一年ですっかり馴染んだ風景に 義兄の姿が重なる


迎えに来てくれた姉は 普段と何も変わりが無かった

本家のご長男と義兄の実の弟が既に式の手配をして下さっていて 私の出る幕など何処にも無かったが

本当に有りがたかった


喪主の妹とはいえ 義兄と血の繋がりは無く土地の人間でも無い私は 何処と無く微妙な存在で 居心地は複雑

でしゃばらんでおけば良いかと^^


葬儀の慌しさが人の悲しみを一時忘れさせる

その為に行われるのだな とさえ感じる

姉も仕事が沢山あるようなので お通夜のあと 私は一人ホテルに泊まった

翌朝 早起きをして町を歩いてみた

小さいけれど碁盤の目になった古い一角がある

古い木造の洋館があった

煉瓦を使っているが 色が曖昧だ

近寄ってみたら なんと煉瓦風に刻みを入れて着色した杉板だった

いいねぇ~~~

それにしても こんな時にも私って・・・

だが 義兄の育った町 姉の20年の歴史の町を残さず見ておきたい そういう気持ちもあったのだ


この土地の火葬場の最後のスイッチは 一番親しい身内が押すしきたりだそうだ

以前 姉は辛そうに 是が嫌だと言っていた

その時が来て 姉は私に再び同じ事を言った

何言ってるの 誰よりも姉とR(甥)にそうして欲しいとお義兄さんは思ってるよ

そう言って 背中を押した


義兄の妹の夫である人から 姉は凄いと言われた

誰一人知り合いの居ない町に東京から嫁ぎ あっという間に顔を広め 人脈を作った

此処に生まれて長く住む我々でも あそこまで顔は広くない

これも人柄というのか 人徳だね と


私は知っている 姉のそういう性格を^^

悪い方に出る事もあるが 此処では見事に花を咲かせたようで とても嬉しかった


体型こそ違うが 同じオカッパ頭で何処と無く顔も似ているのだろう

妹とわかった方々から 姉を支えてあげてと頼まれた

本家のお嫁さんは新潟美人 姉の事を○ちゃんと呼んで親身になってくれているようだった

その方が でも○ちゃんがこれから一番頼りにするのは○子さんだと思うから 話を聞いてあげてねと言われた


わかっています!二人姉妹ですし

葬儀の残務整理も諸々の手続きもある

姉は暫くは 泣く事も忘れて忙しい日々を送ることだろう

それは私も経験したから よく判る

泣くのはもう少し後 走り書きしたメモ 初めてプレゼントしたネクタイ お気に入りだった品々

日常のちょっとした隙に そういう物を目にして 人知れず泣くのだろうと思う

先の事は なんとかなる 身体にだけは気をつけて


それにしても 田舎の新聞ってのはやだねぇ~

訃報欄があって お年寄りになると一番先に是を見る人もいるって

義兄は いずれ此処にも自分の名前が載るんだ って 言ってたな 

それを見て駆けつけて下さった同級生も何人かいらっしゃったが・・・

式典全てが苦手な私は あんな辛気臭い音楽を流さずに 義兄が好きだったストーンズでも流せ と思ったりもして

そんなこんなで 普段使わない神経を使い 酷く疲れた

洗濯の山を見て 溜息をついている

でも あるであろう明日の為に やらなくっちゃね

生きているって 素晴らしい

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