どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

判る事と 感じる事

2007年09月15日 | 日記
親になってみなければ 親の気持ちは判らない

どんな状況だったかは忘れたが 若い頃 母との口論からそう言われたことがある

決定的科白である それを言っちゃぁ~お仕舞よ って感じである


確かにその通りかもしれない

女の気持ちは 女になってみなければ判らない

イスラム教徒の気持ちは イスラム教徒になってみなければ判らない

犯罪者の気持ちは 犯罪者になってみなければ判らない

総理の気持ちは 総理になってみなければ判らない

犬の気持ちは 犬になってみなければ判らない

そして 私の気持ちは私になってみなければ判らない

もう 何とでも言える


かなり以前の事だが 大人にはなっていたある日 街を行き交う人並みの中に居て ふと

すれ違った人 電車で隣り合わせに座った人 幸せそうな人も忙しそうな人も それぞれの想いを抱いて生きているのだと

そんな当たり前の事をしみじみ感じた事があった



自分の身近な人 映画や小説の中の人物 有名な人や時の人

あるいは事件や事故や被害にあった人 そういう特定の人々の人生や心を想う事はあっても 

私の生活とは何の係わり合いも無い 単にヒトというだけの存在に思いを寄せる事は無かった

その時の感覚は 今も忘れられない


母が言ったように 私が親としての母の魂を完全に感じ取る事は不可能であろう

母だけでなく 実在の人であっても架空の人であっても その魂の完全な把握はありえないだろうと思う

にもかかわらず 私はそういう多くの魂との触れ合いを愉しいと感じる

そう思うから 徘徊をし 友と話をし 本を読み 音を聴き 自然を求める


判るのは 思考であり論理である

感じるのは 感情であり共感と想像力である

パソコンには出来まい 
 
コメント
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