どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ヨッパライとは そうしたものだ

2007年09月17日 | 日記
何故 私はモーツァルトに生まれなかったのか とサリエリが思ったかどうかは定かではないが

他の誰か(隣の家の子かも)に生まれたかった と一度くらいは思った事のある人は少なくないだろうと思う

容姿端麗にして頭脳明晰 あるいは ずば抜けた才能の持ち主 大富豪の家柄 

それほどではなくとも 私のように 西部劇に登場するヒーローに生まれたかった なんていう愚かな夢のひとつやふたつはね


私は時々 何故 自分が自分であり他の人では無いのかという 凄く奇妙な感情に囚われる事がある

あらゆる運命を背負った私という人間が どう生きるのか試されているような気がするのだ

そして 他の誰が私を生きるより 私は私を上手に生きてみせようではないか と思う

どの時代の どの国の どの家庭に生まれても 何の不思議も無い偶然性の中で 

それを必然に変えるのは 結局自分自身でしか無いのだという想いがする


ある大きな傷を心に受けること それは決してマイナスな面だけでなく 感動と名付ける人もいるが

それには受容体が必要なのだ

運良く未発達で終わった人も かなり幸せ

活動が活発な人も それはそれで幸せだと思う

ただ 幸せの質量は違う気がするけどね


何が言いたいかっていうと 何も無い

全ては我が身への問いかけであり 返事である

ヨッパライとは そうしたものだ

コメント
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