どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

11月10日(火) その3

2015年11月10日 | 日記
桂離宮のそばを桂川が流れる

道なりに歩いてくると桂橋に出るが それを渡らずに川沿いの道を行けば参観入口が見えると 旅に出る前に地図で何度も学習している



時間はたっぷりあるので 川を眺めたり 水門を見たり 桂離宮の外側にある庭を眺めたりして過ごす

時々 晴れ間も見られるようになってきた

まだ時間はたっぷりあるのに 次第に人が集まってくる

受付のあと 簡単なビデオ解説があってから いよいよ1時間ほどの桂離宮の見学開始

説明をしてくださる人の後ろを40人ほどだかがぞろぞろとついていくので 写真を撮るどころか 眺めるのでさえじっくりと鑑賞している時間は無い

しかも 人物が入らないように写真を撮ることが難しく もうとりあえずバシャバシャとシャッターを切るだけになった

詳細はここでは書ききれないし 検索すればいくらでも出てくるので 興味のある人はそれを見て欲しい


ここの美の発見者は ブルーノタウトであった

京都での滞在先は 京都御苑そばの下村正太郎邸

あのヴォーリズがつくった 今も非公開の大丸ヴィラである

桂は昔から平安貴族が多く住み 月を愛でる場所だったらしい

この回遊式庭園が造られたのは17世紀のことである

簡素でありながら美の追求と憎い遊び心が随所にみられる

季節に応じた自然を 舟遊びや月見 お茶会などをしながら味わう場所としての いわば別荘である

庭を歩くにつれ景色が変わり 建物も池も見え隠れするように設計されており 敷石にしてもそれぞれが違った顔を見せるようにできている

次は何が現れるのか そういう面白さがある

写真はあげればきりがないほどだが そのいくつかを載せておく

 


延段(のべだん)とよばれる飛石には 真・行・草の三つがありそれぞれ表情が違う 

石段を上がった先の沓脱ぎは6人の沓が並べられることから「六ツの沓脱」と言われている



切り取られた空間が絵のように見える

 



月見は夜空ばかりでは無く 池に映った月も楽しむ趣向(月見台)


こうした正方形の石を斜めに配置するだけで ぐっと印象が変わる

       

桂駅には3時過ぎに到着

そのまま嵐山まで行ってみた

観光地らしい観光地に少し浸ってみたいと思ったが 行ってみて間違いだったとわかった

とりあえず渡月橋は渡った

それで充分

ホテルそばの大丸の地下で食料を調達してからチェックインして 一日を終える
 
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11月10日(火) その2

2015年11月10日 | 日記
桂離宮の見学は1時半からで 受け付けは20分前となっている

知らない場所に行くとしても ここを12時に出ればいくらなんでも十分間に合うのはわかっているが 時間が中途半端だし 桂に行けばそれなりに見るものだってあるだろうと とりあえず電車に飛び乗った

桂駅から桂離宮までは ゆっくり歩いても20分

途中に「桂地蔵」という地蔵寺あり



なんでも京都には六ヶ所の地蔵寺というものがあって 旧街道から都への入り口にあるそうだ

小野篁(おののたかむら)が一度冥土へ行ってから地蔵菩薩に出会って蘇り云々やら 平安時代の伊勢もかつてこの近くに住居があったといわれる と 入口には書いてある

懐かしい名前に出会って 伴善男の応天門の変を思い出す


小野篁は 祖先は小野妹子 孫にはあの書家で有名な小野道風がいる(小野小町も?)が 彼自身も書に長けており また漢詩や和歌にも秀でていたというのが 日本史で学んで知っていた知識

「子子子子子子子子子子子」を何と読むかと天皇に問われて 「ねこの子のこねこ ししの子のこじし」と読むと答えたという話はどこかできいていたが それを読み解いたのが彼だったことは これを書くにあたって調べて知ったこと

ついでに言うと その前に彼は「無悪善」といういたずら書きを何と読むのかと問われている

「さが(悪)無くて善からん」(嵯峨天皇が居なければ善いのに・・・といった意味)

この天皇こそが実は嵯峨天皇であった 

お前が書いたから読めるのだろうと怒り では お前はどんなものでも読めるのかと突き出した難問がこの「12個の子」であった

調べてみるとこの小野篁は なかなか激しい性格の人物のようだが 島流しにあったにもかかわらず許されたことからしても その才能も人物もなかなかだったのだろう

彼は地獄を行き来したという話もあり また異母妹との恋愛もあったという話もあり たかがお寺と思って通りかけただけのことであったのに 思いがけず面白いものに出会った

8月の22・23日にはそれらを巡拝する「六地蔵めぐり」というものがあること 襖絵は長谷川等伯の筆で重文であるらしいことも調べていて知ったが それらは未確認の話 


ひとりの女性が熱心にお参りをしている

何を願い 何のお礼なのか 

私はそのまま桂川をめざす


入口の横に書かれてあったもの
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11月10日(火) その1

2015年11月10日 | 日記
夜中の二時起床

食事 お風呂 ゴミだしなどを済ませ 旅の最終チェックをする

外は真っ暗だが 暖かい

始発の電車というのに この時間から仕事に向かう人がいるのだと驚く

始発の新幹線でも間に合う時間に到着

東京の天気は悪く 発車してまもなく小さな水滴が車窓につくようになる

太陽はまだ顔を出さないが 新幹線の中は幾分暑い

製紙工場から出る煙が見えるということは 新富士あたりだろうか

まだ暗く やはり天気は悪いのかと まさに暗雲立ち込める


静岡を通り過ぎて名古屋に向かい始めた頃になって 天気が変わった

農家や木々にあたる東からの太陽の光 そして西側に出来るくっきりとした影

心も明るくなる

と思ったら岐阜から滋賀に向かう間に再び曇り始めた

あかん!


京都には8時半過ぎ 定刻どおり到着

案の定 そう暗くは無いけれど曇りである

京都駅ビルには11階までの伊勢丹と 15階までの「ホテルグランヴィア京都」があり JRのコンコースから伊勢丹の屋上までを階段とエスカレーターで結んだ広い空間が広がる

一番上まで上がると 京都の街並みをかなり見ることができる




朝食が早かったので 忠太に挨拶をする前に軽く食事をする

駅前から歩いて5,6分だろうか いつもと同じ姿で 忠太が想像した動物たちが並んでいる

これを知ることが無ければ 私は建物に興味を持ったかどうか 旅にでさえ出なかったかもしれないという まさに私を変えた憎い奴なのである




四条通りまで ホテルに荷物を預けるために歩くことにする

地下鉄で二駅の距離だが 毎回違う道を歩くためかいつも新鮮な気持ちで歩くことができる

地方都市では 主要駅よりも古くから栄えた城の付近のほうが栄えていることがよくあるが 京都も駅前からわずか5分 10分というところを大通りを避けると ごく普通の民家やマンションが立ち並んでいる

その多くがいかにも京都らしい建物であり またマンションにしても京都らしい景観を大事にした外観を持つものを見かけると なかなかオシャレだなあと思う




京都市内は何度か見ているので 鴨川の位置と三条 四条 五条などの通りはそれなりに把握している

それでも 細い通りの名前まではまだ無理である

京都の通り名の唄がある

まるたけ えびす に おしおいき あねさん ろっかく たこにしき・・・・

こうした通りに関する唄は幾つかあるらしいのだが 私はこれを「コナン」で知った^^

でも 今もってそこまでは皆目わからん

ただ 普通の町の 普通の小さな路地を歩くのが私には何よりも楽しい


そして 偶然見つけた

長く歩いていると 少しずつではあるけれど 匂いを感じることがあるのだ

こんなところにはきっと面白いものがあるかも って でも それはいつもビンゴなわけではない

でも ビンゴだった時の喜びは大きい




今回は「東中筋通松原下る 天使突抜」という町名だった

五条通りを超えてから あえて大通りを避けて細い道を歩いていたら そこにこの町名を見た

なんじゃ これ・・・そもそも なんて読むのか?

高辻通を渡るとその小路はもうこちらで言う私道よりも狭く 石畳のある道の両側に立ち並ぶ家は運命共同体のように連なっている

有名なお寺を見るのも悪くないけれど 私はこういうのを見る方がたまらなく興奮する

(実はこのあたりはいつも適当に歩いているため 今回自分が歩いた道をグーグルで調べてみました。そして、この町名がかなり有名であり、映画の題名にもなったとかなんとか・・・。これは、「てんしつつぬけ」と読みます。この町名の由来もあり。)




ホテルに荷物を預けてから 近所の夜の食事が出来そうなところを物色していて 古いビル発見

古いだけだではあったが・・・



上島珈琲店で休みながら これからの計画を練る 
コメント (4)
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