母の学生時代のアルバムの表紙には その卒業年が 西暦ではなく皇紀で書かれていた(確か 2604年かと)
子供の頃 ゴム跳びをする時に「紀元二千六百年」を歌った記憶がある
勿論その替え歌であるが それをいつ だれが作って どのような歴史をたどって20年以上も子供たちに唄い続けられてきたのだろうか
「きーんしかがやくニッポンのー アメリカ アジアに ヨーロッパ・・・」と歌った気がする
今は ゴム跳びをする子供なんて見たことも無いから この歌を知っている人もかなり減ったことだろうと思う
輪ゴムをたくさんつなげたものを使っていたが おもに女の子の遊びで 私はあまり好きではなかった気がする
男の子と木登りをしたり 探検と称して公園で遊んだり 忍者遊びだったり 馬跳びの方が好きだったのだ
私の小学生の頃は昭和の香りもふんだんに残ってはいたけれど それでも戦争の記憶も次第に薄れ 高度経済成長期を迎え 東京タワー カラーテレビ 東京オリンピック 新幹線開業という時代でもあり すでに子供の遊びも大きく変わり始めていたのだ
そんなことを思い出したのは 今日の勤労感謝の日 昔は「新嘗祭」と言ったのだという話を 小学校の高学年になった時に担任の先生が話してくださったことが何故か今も忘れられないからだ
黒板に「新嘗祭」と書いて「にいなめさい」と読むのだと言い その説明もしてくださった
現在 その女性教師は75歳前後かと思う
その時はただ先生としてしか見ていなかったが 終戦の記憶などあったのだろうか
完全に戦後の教育を受けたのだろうとは思うが その時 先生は何を思ってその話をしたのだろうか と今頃になってふと考えたりする
戦後 国家神道と結びつくような祝日はGHQによって変えさせられた
日本古来の意味としては 感謝祭とも少し違い(神嘗祭がそれに近いか) 五穀の収穫を祝う日であり 一年の仕事の労をねぎらい 一年分の蓄えに対して神に感謝する日でもあった
極めて自然と密接につながった祭りであり 日本の精神文化のひとつを担うものであったかもしれないが お米の消費量も減り 食生活も生産方法も保存方法もすっかり変化し 世界単位で農作物が移動する時代で しかも ハロウィーンの祭りの方が年々栄えるばかりという現代 もう この祝日を前にして黒板に「新嘗祭」の文字を書いて説明する先生も少ないだろうと思う
勤労から離れてそろそろ3か月 感謝もされない人間になってしまったけれど 贅沢でなくとも美味しくて安全な食生活が 生産者にとっても消費者にとっても 人類の歴史が続く限りだれにでも保障された世界であって欲しいと 小食なくせに食いしん坊な私はそう願いつつ 少し感謝
子供の頃 ゴム跳びをする時に「紀元二千六百年」を歌った記憶がある
勿論その替え歌であるが それをいつ だれが作って どのような歴史をたどって20年以上も子供たちに唄い続けられてきたのだろうか
「きーんしかがやくニッポンのー アメリカ アジアに ヨーロッパ・・・」と歌った気がする
今は ゴム跳びをする子供なんて見たことも無いから この歌を知っている人もかなり減ったことだろうと思う
輪ゴムをたくさんつなげたものを使っていたが おもに女の子の遊びで 私はあまり好きではなかった気がする
男の子と木登りをしたり 探検と称して公園で遊んだり 忍者遊びだったり 馬跳びの方が好きだったのだ
私の小学生の頃は昭和の香りもふんだんに残ってはいたけれど それでも戦争の記憶も次第に薄れ 高度経済成長期を迎え 東京タワー カラーテレビ 東京オリンピック 新幹線開業という時代でもあり すでに子供の遊びも大きく変わり始めていたのだ
そんなことを思い出したのは 今日の勤労感謝の日 昔は「新嘗祭」と言ったのだという話を 小学校の高学年になった時に担任の先生が話してくださったことが何故か今も忘れられないからだ
黒板に「新嘗祭」と書いて「にいなめさい」と読むのだと言い その説明もしてくださった
現在 その女性教師は75歳前後かと思う
その時はただ先生としてしか見ていなかったが 終戦の記憶などあったのだろうか
完全に戦後の教育を受けたのだろうとは思うが その時 先生は何を思ってその話をしたのだろうか と今頃になってふと考えたりする
戦後 国家神道と結びつくような祝日はGHQによって変えさせられた
日本古来の意味としては 感謝祭とも少し違い(神嘗祭がそれに近いか) 五穀の収穫を祝う日であり 一年の仕事の労をねぎらい 一年分の蓄えに対して神に感謝する日でもあった
極めて自然と密接につながった祭りであり 日本の精神文化のひとつを担うものであったかもしれないが お米の消費量も減り 食生活も生産方法も保存方法もすっかり変化し 世界単位で農作物が移動する時代で しかも ハロウィーンの祭りの方が年々栄えるばかりという現代 もう この祝日を前にして黒板に「新嘗祭」の文字を書いて説明する先生も少ないだろうと思う
勤労から離れてそろそろ3か月 感謝もされない人間になってしまったけれど 贅沢でなくとも美味しくて安全な食生活が 生産者にとっても消費者にとっても 人類の歴史が続く限りだれにでも保障された世界であって欲しいと 小食なくせに食いしん坊な私はそう願いつつ 少し感謝