一日毎に天気がころころ変わる
ということで 今日はまたまた天気が悪い
となれば 今日は読書
古今亭志ん朝に関するもの二冊 柳家小三治のものを一冊 いずれも図書館から借りてきた文庫本を読み始める
落語に関するラジオ番組があり 毎回 女性のゲストが来るのだが それが若い人だと まず落語を全くか あるいはほとんど知らないと言う
若い人との接点がほとんどない私は 当初 そんなことがあるのかと思った
私の子供の頃は テレビやラジオでの演芸番組は必ずあったから 特に興味を持たなくても落語がどんなものであり どのような話があるのかはそれなりに知っていた
もっとも クレイジー・キャッツやら爆発的人気だったコント55号などとともに育った時代なので ひと世代前の テレビがまだ無くてラジオだけだった人たちのように 志ん生・円生・文楽といった名人の記憶は私には無い
見ていた あるいは 聴いていたかもしれないが ああ いいなあ なんてことを思うほどシブい子供ではなかった
時代の趨勢というか 落語の世界は何度か浮き沈みがあったものの 最近はまたなかなかの人気だという
私が意識して落語に触れたのは 20年ほど前だろうか
ひとつのきっかけとしては 東京やなぎ会(句会)に集まる人たちが好きだった ということがある
志ん朝は 子供の頃からドラマやコマーシャルで見かける顔ではあったけれど 改めて聞くようになると 私にとっては名人と言われた人たちよりも上の存在となった
本人は若い頃 役者になりたかったようだが もちろんそれでも成功しただろうが 私は落語家になってくれて本当にありがとうという気分だ
声 姿 動き 色気 調子 どれをとってもこれだけ揃った人は そうはいないと私は思う
現在 落語会のチケットが手に入らないと言われるひとたちも多くいる
かなりいけてると思うひとたちもいるのだが 何か欠けているところを見てしまう
志ん朝亡きあと 小三治は この年代の人として落語会(江戸落語)を牽引してきた
彼の「まくら」は本当に楽しく あの飄々とした とぼけた口調が味だけれど きわめて真面目でクレバーな人だと感じる
本は 彼の落語の音源を文字おこししたものなのだが 黙読しているのに彼の声が聞こえ 顔や姿が浮かんでくるのが面白い
志ん朝に関する本の一冊は 彼の話を音源に残した人のものだったのだが 当初 志ん朝には断られ続けたそうだ
噺は一回きり 舞台で演じれば どんなに完ぺきであっても あるいは どんなに失敗しようとも それを二度と掴むことはできない そういう気持ちだったようだ
そこで思い出したのが エリック・ドルフィー
志ん朝がジャズが好きだったのであれば 間違いなく『ラスト・デイト』を聴いているはずだ
この曲の最後に ドルフィーの言葉が入っている
"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."
よくも悪くも 一回こっきりでしかない
しかし それは永遠でもある
私は そう推測している