どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

乙巳の変

2020年08月10日 | 日記

645年「大化の改新」 中大兄皇子らによって蘇我入鹿が大極殿で殺害され 新政権生まれる

昔はそう覚えたけれど 最近はこの一連の事件を「乙巳の変」といい その後の政治改革を「大化の改新」というと変更されたようだ

ついでに言うと これ以前に起きた物部氏が蘇我氏に滅ぼされた事件も「丁未の乱」と名前がついていたが 私には初耳だった

 

その乙巳の変での中心人物は のちに天智天皇となる中大兄皇子のほかに 藤原氏の祖である中臣鎌足 こんな長い名前をいまだもって忘れることのない蘇我倉山田石川麻呂などがいる

この藤原氏が次第に権力を持ち始め 年月を経てその子孫は政権を独占すると 欠けることなき満月のように満ち足りた我が人生と言うまでに至るのだが 一方この長い名前の人はどうなったか 当時は気にも留めなかった

何しろ日本史は覚えることがありすぎで 考えたり 思いを馳せたりする余裕などは無かったのだもの

舞台から消えたら はい おしまい

 

彼の娘は 中大兄皇子の妃となっているのだけれどね 

これって君臣の契りからなのか 暗殺で手を汚したゆえの仲間意識なのか 裏切りを避けるためか

週刊文春やゴシップを扱うメディアがこのころにあったら もっともっと色々な事件の裏側や背景 人物像などがわかったのにと思うと 本当に残念

結局 彼は謀反の疑いをかけられたまま 一族で自害してしまったそうな

この当時は謀反の疑いがかけられたら それから逃れるすべはない

事実だったのか 誰かの陰謀によるものだったか 謎は残ったまま

 

このもやもやの中で ややこし関係にある人びとの心情 運命 言動を思う時 「人生は理不尽で不条理なもの」(← このブログの前身には タイトルページにそう書いていた)だとあらためて感じる

より良く生きるのは 本当に難しい

コメント (2)
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