今朝 夏の匂いを嗅いだ気がした
梅雨の前半は涼しい日が多かったが 後半に入っていよいよ夏が一歩進んだ感あり
夏は暑く冬は寒いことはもう十分体験してきているのに その時が来て初めて体が思い出すようだ
これでやっと麦茶作りも日課となる
私の読書は昔から 一冊読み終えてから次の一冊を手にするということができず その時の気分や状態によって何冊か並行して読み進めることが多い
今日は途中になっていた『阿蘭陀西鶴』を再び手にしたら 面白くてついつい最後まで読んでしまった
少し前に 曲亭の娘や河鍋暁斎の息子の嫁を主人公にした小説を読んだが 今回は西鶴の娘が語り部
作者の朝井まかてさんには北斎の娘を主人公にした『眩(くらら)』という作品もあり なんだかごっちゃになりそう
西鶴のことは主な作品の名前しか知らず 浮世草子(いわゆる小説)を書く前にすでに俳諧師だったことも知らなかった
書名の通り本当の主人公は西鶴であるが 目の不自由な娘を通して西鶴を描くという手法は 親近感がわく
物語(小説)の存在意義をどう捉えるかは作家ひとりひとりの問題だろうけれど 読みもの(文字で表現されるもの)は 読者が好きな時に好きな場所で自由に楽しむものであるという西鶴のことばは賛成である
読者は勝手に想像し 時に妄想し 人とは違うところを面白がったり感動したりして良いのである
盲目の娘を語り部としたことも 西鶴が北斎や暁斎のような絵描きではなかったことで 文字ならではの力 物語の持つ力を(おそらくは作者の矜持?)表現するのに必要であり 必然でもあったと感じる
バスタイム読書が無くなった分 昼間や就寝前の読書時間が増えてきた
外にも出なくてはと思いつつ これからは暑くなるしなあ・・・