どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

定期健診

2024年02月19日 | 日記

4時起床

まず外の様子を確認すると・・・何?雨?早いじゃん!

検査の予約は10時なので 家を出るまでにはまだ時間がある

どれだけ回復するかに期待をかける

 

家事を済ませ 出かける準備をしてもまだ小ぬか雨状態

遠くの空は少し明るくなっているようにも見えるが 7割の人は傘をさしている

迷ったあげく 霧雨状態の中 歩いて行こうと決めた

激しい雨にはならなかったものの 眼科で順番を待っているうちに本降りになった

折り畳みでも持ってきて良かった!

 

今日も混んでいるが 高齢者ばかり

私なんぞは若いほうで これでは医療保険制度の持続が難しいのもよくわかる

検査結果は変わり無しだった

今の私には それが一番望ましい結果

近くのスーパーに寄ったら九州フェアなのだろうか 珍しくきびなごのお刺身と地元のタコ発見

ご褒美に(一体なんのご褒美?)買って帰った

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明日は晴れるか

2024年02月18日 | 日記

忘れた頃にやってくる明日の眼科健診

数日前に見た予報では天気はまずまずだったのに 段々雲行きが怪しくなり 結局曇り時々雨 となるらしい・・・

どうやって行こうか考える

電車に乗って最寄りの駅から歩くか 家からその倍以上の距離を歩くかの二者択一

天気が良ければ運動を兼ねて後者を選ぶのだが 雨だと嫌だなあ

どっちみち駅からは歩くんだけど・・・

何度も天気予報や雨雲レーダーなどを見るけれど 微妙

結局明日の朝決めることにした

両親がある年齢から病院に定期的に通うようになったのを見ていて 私はそうはなりたくないと思ってきたのだが うっかり見つかっちゃって(てへっ!) もう一生通わなければいけないことになってしまった

長生きをどう考えれば良いのか わからなくなってくるよ

 

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また会社の夢を見た

2024年02月17日 | 日記

また会社の夢を見た

会社の夢の中で楽しんでいたり喜んだりしていることは 滅多に無い

いつも焦ったり 困惑したり 

今日は タイムカードを押したいのにそのカードが見つからなくて ずっと探している夢だった

大会社であれば 会社の入口を通過する時に個人認証され 自動的に入退室が記録されるということになっているかもしれないが 私が勤めていた小企業の会社では自分でタイムカードに印字する方式なため 時々押し忘れて手書きで記入することも度々あった

そのせいだろうか あの夢は

嫌な気持ちで起きたら6時少し前

慌ててお風呂に入る

昨日は会長の命日だったから そのせいだろうか

会長は夢には出てこなかったけれど

 

買い物に行き 明日は久しぶりにハッシュドビーフを作ろうと決めた

買い置きしていた玉ねぎの芽が出そうだし ちょうど良い

それに月曜日はまたまた眼科の検診日だから 帰宅してからすぐに食べられるし

ついでにフランスパンも買う

長いバゲットを持って帰る時 心はいつも弾んでいる

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ラジオを聞いて

2024年02月16日 | 日記

行に寄ってから 図書館の本を返しに行く

返却ポストに入れても良いのだが 本が傷みそうな気がして 窓口まで持って行くことにしている

今日は風が強く 駅のコンコースでよろけそうになったので緊張しつつ歩く

昨日の余韻のせいか 北風に変わったもののまだ暖かいが 来週から月末にかけてまた真冬並みになるようだ

まだ2月であることを忘れてはいけない

 

いつものラジオ番組を聞いていたら たまたま今日は「自死」を扱う日だった

人工知能研究者の黒川さんを中心になかなか興味深いとは思ったのだが 途中で外出してしまったのであとで聞き逃し配信を聞こうと思う

運良く親しい身内や友人において 私はその経験がない

子供の頃 何気ない家族団らんの会話の中で 父は「親より先に死ぬことほど親不孝なことはない」と何度か話すことがあった

自分の兄が戦死しているし 一番下の妹を幼い時に亡くしているので そんな話からだったかもしれない

冗談を言ったり ちょっとしたいたずらをするのような楽しい父なので 深刻な口調では決してなかったが 私はその言葉をけっこう真面目に受け取った

ちょっとした冒険や悪さ(といっても多くの人にとっては普通のことだが)にも躊躇したのは 私の性格もあるけれど やはりその言葉が私にとっては重かったからだと思う

 

必ずしも 生きているのがつらい=死にたい ということではない

自死によって何らかの自分の意思を示したい ということもある

自死は悪だと明確に言うだけの理由が 見つからない

色々な意見があった

実際に親しい人の自死を経験した人からのメールには 出口の無い悲しみがあふれていた

簡単に善悪の判断がつくような問題ではなく あるいは永遠にそうかもしれない

より良く生きるのも より良く死ぬのも どちらもとても難しい

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春一番

2024年02月15日 | 日記

昨日買えなかったビールを 駅とは反対方向の店に買いに行く

気温はぐんぐん上昇

ついに「春一番」が吹いたと発表され 最高気温も20度を超えた

このままで終わるほど甘くないことはわかっているけれど 心の中に暖かい風が入り ほんわか軽くなったような気がする

一か月後は桜の話題でもちきりになるだろう

そしてこんな日が普通になるのだと思うと それを待つのも楽しみになってくる

 

図書館から借りた5冊のうち3冊しか読み切れずに 残りは延長を申し込んだ

たまたま無意識に 言葉に関する本を借りることになったのだが いかに自分の言葉が稚拙で深みが無いかを思い知らされることになってしまった

言葉のその状態は そのまま思考のそれにもつながる

だから言葉は大事で怖い

今更手遅れか・・・

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