みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

「世界のバラ・Part3」~花フェスタ2005ぎふ会場より

2005-05-24 06:29:19 | 花/美しいもの
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「世界のバラ・Part3」
花フェスタの「世界のバラシリーズ」も三日目。
そろそろ息切れしてきた。夢にまで出てくるバラ、バラ、バラ・・・。
名前をよく知ってるね(マサカ!)と感心していただいたのですが、
花の下にあるプレートを一緒に写してきただけです(笑)。

  

花だけをアップで写して並べると、「図鑑」みたいなので、
今日はちょっと趣向を変えて、同じ品種を2枚ずつ。
表情の違う花たちを、おたのしみください。

コリナ(アメリカ)
 

ファースト フェデラル ルネッサンス
 

バトル オブ ブリテン(イギリス)
 

バジルトン ボンド(イギリス)
 

クレオ(イギリス)
 

プリンセス マーガレット オブ イングランド(フランス)
 

プリンセス アイコ(日本)
 

最後に、
青いバラ「ブルーヘブン」をつくった、岐阜県の育種家のバラ。
ミスティ パープル(日本)
  

はい。今日のところはこれだけ。
では、またあしたお会いしましょう。
おたのしみに!


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「生き延びるための思想」上野千鶴子~『at あっと』0号

2005-05-24 01:19:53 | ジェンダー/上野千鶴子
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上野千鶴子さんから、本が届いた。
クォータリー[at あっと]0号。
発行は「太田出版」。700円。
編集は、オルター・トレード・ジャパン/パラグラフ。

「オルタナテイブ」と「トレード」から、「at」と名付けられた。
副題は、「もう一つ(オルタナティブ)の〈回路〉のために」。

ATJの原点は、80年代半ばの、フィリピン・ネグロス島の人びとの支援活動とのこと。
 

この創刊準備号の特別インタビューに、上野さんが登場している。
19ページにもおよぶロングインタビューのタイトルは、
「生き延びるための思想」。

「女性革命兵士という問題系」をめぐって~にはじまり、
~「尊厳ある生」と「男仕立ての思想」、
~難民の思想と怒り、
~国境・部分帰属・ロマン主義的シニシズム、
~ノーパスポート、当事者の思想は可能か?

「死ぬための思想ではなく、生き延びるための思想を」という上野さんの言葉に、
泣いた。そして、その夜は眠れなかった。

インタビュー記事の一部を紹介したい。

P28~29
上野--私が若い時に非常に影響を受けた作家にE・M・シオランという人がいます。彼はまさに亡命者ですね。パリに逃れて、母国語を奪われ、母国語で表現することを禁じられた亡命者としてのふつふつたる怒り、やり場のない憤怒が、彼の著作には溢れています。今から考えると、日本しか知らなかったあのころの私が、なぜあれほどまでに母国語を奪われたシオランの怒りに共鳴したのかと言えば、男言葉で自分を語らなければならなかった女の怒りと通底するところがあったんだと思う。
 --なるほど。
上野--当時まだ女性の進学率の低かった大学というところへ行って、哲学だの社会科学だのを学んだら、エリート男の言語でした。自己表現しようにも、それしかボキャブラリーがなかったですから。それはもう、煮えたぎるような怒りでしたね(笑)。もっと悪いことには、大学なんて世界に入り込んでしまった女は、そこで生きることを自分の意思で選んでしまったがために、責任転嫁することができない。だからその怒りは、持って行き場のない怒りなんです。
 つまり、亡命者や難民は、「もはや母国に戻れない」という道を選ぶわけですが、大学なる世界に迷い込んだ女は、帰るべきその<母国>すら持てないわけです。女の母語なんて、思想の言葉には、どこにもない。もちろん、日常の言葉としての女ことばはありますが、思想の言葉にはならない。そこでは何を語っても、借り物の、他人の言葉でしか語れない。
 ですから難民について考える時、私にはある種の共感があります。実際、外国を転々としていると、いろんなところで、同世代の人間で国を捨てた人によく会うんです。

P36~37
上野--・・・・私は20世紀の後半は、ジェンダーが主題化されたフェミニズムの時代だったと思いますが、これからはもういっぺん、クラス(階級)が主題化される時代になると考えています。マルクス主義とは別な意味でね。その時、貧民や低階層からどのような思想が生まれるでしょうか。新しい思想の担い手はフェミニズムと同じく、当事者の中からしか生まれないでしょう。
 では、当事者とはどういう人びとかと言えば、まず言葉を奪われた人たちで、端的に言えば、最初に私が言った「ボキャ貧」たらざるを得ない人たちです。彼らに生活の言語はあるが、思想の言語は獲得するしかない。じゃあ、どうやったら獲得できるのか、と考えるんです。
 フェミニズムがやってきたことは、私自身も含めて、女が言語を獲得していく過程でした。集団的に母語を持たない人びとが、母語を事後的に獲得していったようなものです。それと同じようなことが、あまり使いたくない言葉ですが、いわゆるサバルタン的な位置にいる人たちに可能かどうか。私は当事者にはなれなくても、そういう人たちの同伴者になりたいと思うし、そこに新しい言葉が登場したときに、それが思想的な事件だと、驚きをもって迎えることのできる立会人でありたい、と願っています。
 --重要な論点ですね。
上野--フェミニズムはいろいろな批判を受けました。レズビアンはどうなるとか、在日に対して配慮がないとか、障害者の女の居場所がないとか、次から次へと声が挙げられましたが、そういう批判を聞きながらわたしには、--人によっては傲慢に聞こえるかもしれませんが--しめしめという気持ちがありました。それはなぜかというと、アンタが言っていいのなら、アタシだって、という気持ちをいろんな立場の人に持ってもらえたと思ったから。フェミニズムがすごく良かったと思うのは、その点です。
 言葉を奪われた立場の人たちが、なら私も、私も、って言い始めた。『わたしにも話させて』というボリビアの女性の本がありましたけど、まったくそのとおり。アンタが言うならアタシもっていう、コトバを誘発する、思想の装置は作れたと思っています。
 --この雑誌も、そういう人びとに向けて、火中の栗を拾うパフォーマンスは必要だろうと思っているんです。
上野--そう、アンタたちにいつまでもアタシの代弁はさせないっていうことね。そういう場所から生まれる思想は、「命よりも尊い価値」などと口が腐っても言わないような、やっぱり「生き延びるための思想」だと思いますね。

※クォータリー[at あっと]0号、から引用。

創刊準備号は、柄谷行人「革命と反復」の連載も開始。
特集は、「グローバリズムを遠く離れて」。
その他の内容も、ずしりと濃厚で、読みごたえがある。

《いま芽生えつつある新しい社会、経済の動きをとらえ、
有効な理論的な思考を提示し、既存メディアからは見えない情報を
伝え分析する「運動としての学問」を。》

『at』1号(創刊号)は、9月下旬発売予定。
新連載には、上野さんも再登場。
お問い合わせは、03-3359-6262太田出版へ。

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