ピークハントだけでない自然とのふれあい。そんな楽しみ方も忘れてはならない。戸沢村古口の最上峡にある神代杉を見てきた。樹齢1000年以上、幹周り15mもある圧倒的な存在感を示す神代杉が、数多く残されていた。天然杉は植林して枝打ちしたものとは違い、株立ちする複数の幹を有している。その幹の間に10名ほどの人が記念撮影できるほどの大きさだ。
古来、人は生活を杉を多様に取り入れてきた。建築用材として言うまでもないが、酒樽として貴重であったし、葉は線香を作るのに用いられてきた。杉を巨木にするには、雨や雪が必要である。屋久杉が樹齢5000年と言われて有名だが、ここは一年中雨の降るような多雨地帯である。最上峡は雨も降るが、冬の豪雪が杉の生育を促したと考えられる。京都の台杉も有名だが、一本の株から幹を数本立てて、切った形を面白くして、磨き丸太として利用する。
石上の布留の神杉神びにし 我れやさらさら恋にあひける 万葉集・1927
万葉集の寄物陳思の相聞として神杉を使った歌がある。ここでは神杉を年老いたものとしているが、杉の長寿に畏敬を払い、神聖視してきた伝統がある。この杉林に来て、日本人が等しく感じるのは、その圧倒的な存在感であり、神の依り代としての杉への畏敬の念である。かわいい2歳の子を連れた若い夫婦が杉を見に来ていた。「いくつ?」と聞くと、ニッコリして杉の木を背にして頭に二本の指を出して見せてくれた。
陸羽西線。新庄を基点に余目に至る鉄道である。最上川に沿った、風光明媚な景観に恵まれた線路である。車を使うようになって、この路線で庄内に行くことはなくなったが、子どもたちが小学校の頃には、ここを走る汽車(SL)で海水浴に行った。北月山登山道の入り口へ向かう途中、偶然、踏み切りで電車通過のため、停車した。車内でカメラを構えて待つと、二両編成の電車が眼の前を通過した。電車の配色は、橋や自然景観にマッチしたものであった。偶然とはいえ、走る本数の減った路線で、この電車に会えたのは幸運であった。
気候は曇り。登山口で靴を履き替えているうちに雨となった。合羽を着用して、雨の上がりを期待して山中に入る。雨のなか、ガクアジサイの青い色が美しい。昨夜からの雨で、登山道の下草が濡れている。歩き出して間もなく雨は小降りになる。この日の参加者8名。4名づつ2班に分け、登りと下りで交差して、下りの人の車を登りの班が使う。登山開始7時30分、終点で11時30分。途中で雨は止み、足元も乾いて歩き易くなる。行程5.8キロ、登山道の北側には雪渓が見られる。ミズバショウの花はほとんど終わっていたが、一ヶ所だけ残っていた。
笹タケノコ、アマドコロ、シオデ。ほとんどが時期を過ぎていたが、今夜のヒトカタケ分だけ採ってくる。梅雨に入って気候は、急に不安定となり、山行も雨がどうなるか、難しい判断を迫られる。北月山荘で入浴(350円)、食事。名物の雑煮を食べる。地元産の餅米で作った餅が、腰があって美味しい。カボチャのサラダ、ミズのお浸し、ゴマ豆腐など手作り感のあるメニューであった。