昭和20年8月、6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下された。広島では8月6日が、長崎では8月9日が原爆の日とされ、それぞれの市で平和式典が行われ、原爆による死者の慰霊と核廃絶を目指す平和宣言が出される。今年はアメリカのオバマ大統領が広島を訪れ、犠牲者への哀悼を表すスピーチを行ったので、より意義深いものとなった。
高見順に『敗戦日記』がある。その中で、高見は新聞報道が、事実をはっきりと伝えないことを批判し、新聞記事をその日記のなかで引用している。
8月9日
前日と今日の新聞が一緒に来た。前日の新聞をまず見た。「新型爆弾」については、一面のトップに記事が掲げてあるが、なるほど簡単である。
8月8日(毎日新聞)
軽視されぬ其威力
速やかに対策を樹立
8月6日午前8時すぎB29少数機は広島市に侵入、少数の新型爆弾を投下した、そのため同市の相
当数の家屋が倒壊、各所に火災が発生した、敵の投下した新型爆弾は落下傘をつけ空中で破裂
したものゝ如くであり、その詳細については目下調査中でるが、その威力は軽視を許さぬ
敵は引続きこの新型爆弾を使用するものと予想されるが、これに対する対策は早急に当局より
指示されるが、現在の退避設備は更に徹底的に強化する必要がある、今後は少数機といへども
軽視することなく慎重な退避が望まれる。
これでは、みんな、のんびりしているのは当り前だ。
と書いている。退避設備とは地中に作った防空壕を指すと思われる。これほどの悲惨な被害が、新聞にはかくの如くしか報じられない。これひとつで、当時の国民には戦争の実態が知らされていなかった、ことの証明であろう。