酒田市松山の眺海の森から最上川の蛇行を見てきた。蛇行は増水の度に、流域の田をえぐり幾度となく、農村に被害をもたらしてきた。同時に、川を遡る鮭を獲り、ヤツメウナギやモズクガニなどの幸をもたらし、何よりも田を潤す命の川でもあった。民謡に「最上川舟歌」があり、芭蕉をはじめとする俳人や詩人に詠まれてきたのは、この川が人々の生活になくてはならない存在であったことの証左であったと言える。
9月4日に山形市民会館を会場に、東北吟道大会が開催される。そこで発表される「構成吟」でわが山形岳風会は「最上川」のパートを受け持った。芭蕉の「おくのほそ道」の「最上川」のくだりを、俳諧歌にして合吟する。
「最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす。碁点、はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷
山の北を流て果は酒田の海に入。左右山覆ひ繁みの中に船を下す。是に稲つみたるをや稲舟
といふならし。白糸の滝は青葉の隙ゝに落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ。
五月雨をあつめて早し最上川
この韻読のような俳諧歌を練習しているとき、河口に近い最上川を見るのは、なにか因縁のようなものを感じる。いまは田のみで何もないが、かっては鮭をとる小屋が建てられて、袋網を向こうきしまで張り、の人がたくさん出て網を引いた。大漁の日には、小屋の屋根の大漁旗が掲げられたという。河原では運動会があり、鉄鍋にぶつ切りした鮭を煮てサケ汁にして子どもたちにふるまった。川の蛇行には静寂しきっているが、じっと耳を澄ますと、その歓声が聞こえてくるような気がする。