蕎麦の花
2016年08月29日 | 花
転作の田に蕎麦の花が満開だ。8月の末、花の少ない季節であれば、蕎麦の花は際立った存在感を示している。この花を見て人は何を連想するであろうか。芭蕉は「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」と詠んで、花が終わって味わう蕎麦切りを連想した。花が食欲をそそる。私は北海道の開拓の村に生まれたが、種を植えて最も早く収穫できるのが蕎麦であった。どこの家でも蕎麦を植えて収穫し、石うすで粉をし、蕎麦にした。板の上で蕎麦を伸す作業をよく手伝わされた。
同じ俳人でも一茶は「山畠やそばの白さもぞっとする」と詠んで、冬の深い信濃の雪を連想した。野一面に咲く蕎麦の花は、一年で最も厳しい季節のさきがけでもある。一茶は、年端も行かぬうちに江戸に出て辛い奉公をした。火の気のない江戸の長屋で冬を過ごした。たまに帰る故郷の冬は深い雪に埋もれた。だからこそ、蕎麦の花に辛い冬を重ねあわせて「ぞっとする」という強い言葉を詠みこんだ。
遠目には白い花に見えるが、近づいてみると花の蕊に赤い色がついている。ぞっとするどころか可愛い花である。迷走していた台風が、いよいよ近づいてきて、東北の太平洋岸に上陸し、横断して日本海に抜けていきそうな気配だ。収穫前の果樹や稲など、農作物の被害がないことを祈る。畑に行って、とりあえずトマトなど収穫できるものを取ってきた。