常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

喜界島

2017年09月05日 | 読書


昨日のニュースに鹿児島県の喜界島で、50年ぶりの大雨が降ったことが伝えられた。午後2時までの1時間の間に、120mmの雨が降り、その後も80mmの雨が降る可能性があり、土砂災害の危険性が高まっているということであった。鹿児島県の喜界島と聞いて、先ず連想したのは、平家物語で平家転覆を企てたとして、俊寛僧都が島流しになったあの鬼界ヶ島である。しかし、喜界島は奄美諸島のひとつで、奄美大島の隣に位置し、人口約7000人、黒糖や焼酎の生産している島である。どう考えてもあの、鬼界ヶ島とは違うらしい。但し、島には俊寛の墓があり、ここが鬼界ヶ島であったという言い伝えもあるらしい。他の硫黄島にも、やはり俊寛の墓があり、鬼界ヶ島を特定できていないのが実情であるらしい。

私の本棚には、『平家物語』のほか、芥川龍之介の『俊寛』と志村有弘氏の論考「俊寛に取材した近代文学」の二つの文献がある。大急ぎで、この二つの文献を読んだ。平家物語のなかでは、島を訪ねた有王が見守るなか、食もとらず読経しつつ果てたとしているが、芥川は、俊寛が孤独のなかで悟りをひらき、笑いながら法悦のなかに生きているとしている。志村氏の論考では、芥川に影響を与えたのは、菊池寛の小説『俊寛』であるとする。ほかに倉田百三の戯曲『俊寛』や小山内薫の『俊寛』などを渉猟して論考を進めている。そもそも、謀反の咎で鬼界ヶ島に流されるのは、藤原成経、平康頼と俊寛の3名である。いずれも、後白河法皇の側近である。

この後白河側近たちの鹿ケ谷での酒宴のシーンで有名な出来事がある。成経の父である成親が、酒席で立ち上がり、誤って瓶子を倒した。同席していた法皇が、「こはいかに」と言うと、大納言たちは、「平氏倒れ候」と言い、俊寛僧都が「いかが仕らん」と言うと、誰かが「頸を取るにしかず」とはやす。瓶子を平氏と読む子どもじみた言葉遊びが、物語を面白くしている。こんな酒席のやりとりが密告され、3人が鬼界ヶ島へと遠島となった。物語りは、清盛の子重盛の口利きで、赦免されて都に戻る成経と康頼の二人と、赦免されずに島に残る俊寛との心の葛藤である。菊池寛は、孤独と闘い、島での生活を続ける俊寛の個の強さを小説にした。個性と自由が尊重された大正時代の人間の生き方が、この小説に投影されているのかも知れない。

幸い「青空文庫」には、菊池寛の『俊寛』と倉田百三の戯曲『俊寛』が収められている。いながらにして、この二つの作品をすぐに読むことができる。私の読書の楽しみは、こんな風に広がっていく。
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