この秋は残暑というものがない。散歩の道で、キリギリスやコウロギの鳴き声が聞こえ、田の稲穂は実が入って次第に垂れ始めている。あれほど目を楽しませてくれた、青々ととした田も黄金色へと変わりつつある。稲の上には、雀除けのテープがはためいている。スズメは利口で、稲が次第に熟して、一番おいしい時期を待っている。
秋の田の仮庵の庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
百人一首の冒頭におかれた天智天皇の作とされる歌である。天皇が稲刈りをするのか、という単純な疑問がわいてくる。万葉の時代にも、稲をねらう鳥やイノシシなどがいたらしく、稲刈りの時期には臨時の番小屋を立てて、見張りをしていた。苫はスゲやカヤで編んだムシロ、もしくは菰。その編みが目が荒い苫であったので、番をしている主人の袖に露が降りてくる。仮は刈るをかけ、露は農作業の厳しさを悲しむ涙を連想させている。
秋田刈る仮庵作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きける 万葉集巻10・2174
万葉集に収められている歌である。この歌の前後には、秋田のほか萩、白露を詠んだ歌が並んでいる。万葉研究家の伊藤博博士によれば、農作業を終えて、主人の家に集った宴席での歌であると指摘されている。百人一首の歌は、この歌が唄い継がれていくうちに変形、洗練されついに天皇の作とまで言われるようになった。当然、天皇の作とは考えられていない。この歌は、平成30年度日本詩吟学院の優秀吟コンクールの課題吟になった。