秋晴れ、心地よい冷気。今朝の散歩は千歳山である。旅行や気温の急なアップダウンに、体調がこころなしだるい感じであったが、今週になって快調になってきた。千歳山の山道でも、足どりは軽く、疲れない。展望の開けるところから、市街地が大きく広がって見えた。西山の連なりと青空のコントラストが、一幅の絵を思わせる。雨あがり、実に気分のいい散歩であった。
古い切り抜き帖に、一海知義先生の「散歩」と題するコラムがある。一海先生によると散の字は無用を意味するらしい。散木は使い物にならない役立たずの木、散人はいわば無用の人間のこと。雅号に続けて散人と書いて、ちょっと自分を卑下して見せるのが流行ったこともあった。永井荷風の荷風散人など。この伝でいけば、散歩は当てのないぶらぶら歩きで、健康づくりや山登りの筋肉づくりなどの目的があってはならないことになる。
しかし、目的は今度の山行の足馴らしであっても、路傍に思いがけない花や木の実を見つけたり、空の色に秋を感じたり、いつも行き会う人たちと挨拶を交したり、目的とかけ離れたことが起きるのであれば立派に散歩ということができる。
秋晴やこころはづむも朝のうち 篠田悌二郎