火打岳(1238m)は神室連峰の一角をしめ、日本二百名山、花の百名山に数えられ、栗駒国定公園の一角でもある。標高が比較的低いが、積雪の多いために、西に灌木地帯、東側切れ落ちる鋭い稜線。そのピラミット状の山容は、登山家たちに憧れの対象とされたきた。新庄の土内集落の奥にある登山口に朝の7時20分に到着。我々を迎えたのは、細かな霧雨であった。予報は朝方雨が残るが、次第に上がり晴れていくという予報を信じ、登山を開始する。
一本の細い吊り橋。ここが火打新道の登山口である。土内川を渡り、杉林の登山道の入ると、いきなり急登が始まる。立ちこめる霧で、辺りの様子は見えない。ここから40分、急登が続くと予備知識が与えれている。幻想的な風景のなかを、ときにロープに縋り、樹の小枝をつかみひたすら攀じていく。やがて、汗が噴き出してくる。こまめに、吸水をしながら、苦しさに耐える。山中は出会う人もなく、静寂そのものである。「ぼ、ぼー」という低い鳴き声が森の奥から聞こえてくる。「ミミズクですかね?」と後ろを歩く人に訊ねると、「ツツドリですよ。この鳥の声だけは知っているんです」と答えが返ってきた。そういえば、鳥の鳴きかたで晴雨が分かると、教えてくれたのもこの人であった。
霧雨のなかでは、小鳥の囀りがない。静かな山道で、歩くことのできる幸せをかみしめる。尾崎喜八の詩の一節をかみしめてみる。
きたない事はきらいだから
きたないことには手を出さないのだ。
おのれの内の天に聴くから
天に則って道をふむのだ。
自然はおおきな母だから
自然を思えば気が大きくなり、
山が好きだから
山へ行くのだ。
一の坂を登り切ると、二合目の看板が見える。雨は上がり、雨合羽を脱ぐ。霧はかえって深まっていく気配だ。さらに30分、二・五合へ着く。この地点の表示法に興味を覚える。その上の三の坂を登り切ると八合目、西火打岳。このピークと火打岳のコルが九合目になっている。持参したフルーツや行動食を分け合って食べる。
西火打岳に着いたのは10時50分、登山口を出発してから3時間20分が経過している。急登続きで、足の疲労も次第にピークを迎えつつある。新加入のOさんの疲労がピーク、ここで休み時間を取って、9合目への下り、そして最後の急登へと向かう。既に尾根道には、左に切れ落ちる崖が確認できる。藪に隠れた窪みに注意を払って進んで行く。霧さえ晴れば、ここからの眺望はさぞ見ごたえがある、と話しながら頂上を目指す。
頂上で我々を迎えてくれたのは一輪のハクサンフーロ。その鮮やかな色合いが、ここまでの疲労を吹き飛ばしてくれた。厳しい気象条件がそうさせるのか、高山で見る花の色は実に鮮やかである。その周りには、トウゲブキの黄色い花が風に揺れている。途中、花を終えたイワウチワの群落が長い間続いていた。春の花の季節には、さぞ見事なお花畑になっていたであろう。この山が花の百名山になっているのも納得できる。
11時40分、頂上に着く。疲労から回復したOさんも着き、全員が無事に登頂することができた。12時を過ぎて、霧が晴れ、陽がさしてきた。霧の中で冷えた身体に太陽の温かさが心地よい。ここで、弁当を開いて昼食。「やまがた百名山」の解説によれば、この山の秋の紅葉は、息をのむような美しさである、とある。果たして、山の現役でいる間にこの山の紅葉を見ることができるであろうか。
下山を開始して間もなく、霧が晴れて、眺望が開けた。目前に、神室連峰の最高峰小又山が、少し雲を被りながらも雄大な存在感を示している。思えば、神室連峰の縦走をしたのは、20年も前の若い時代であった。神室山の小屋に一泊して、天狗森、小又山、火打岳、槍ヶ先を経て親倉見口へ下山する行程であった。神室小屋で食べた山菜の天ぷら、稜線で持参した水がなくなり、蔭に残っている雪を食べながら歩いたことは、今も記憶に残っている。
下山はさほどの足の疲労を感じることもない順調なものであった。ただし、急坂では濡れた泥道で足を滑らせて転倒する場面も。もっと下山は訓練して、転倒を防ぐことを勉強しなければ、と感じた。本日の参加者8名、内男性4名。いよいよ、本格的な夏山シーズンである。悔いのない安全な山登りが今年のテーマである。帰路、舟形の若鮎温泉で汗を流す。入浴料は380円。