信州の松本から見える西山、三角形の存在感を示すのは常念岳だ。春から初夏、山の雪は次第に消えて、雪形を見せる。この山に住む常念坊が徳利を下げて立つ姿が見える。土地の人は、これを見て、さまざまな説話を生み出している。麓の酒屋に一人のお坊さんが、徳利を下げて酒を買いにやってくる。どう見ても五合徳利だが、そのお坊さんは、この徳利に酒を2升欲しい、という。酒屋の店主は訝しく思ったが、2升の酒をその徳利に入れてみると、すっかり収まった。お坊さん、金を払い、酒を受け取ると、山の方に向かって歩きだし、間もなく姿を消した。人々は、雪形を見て、酒を買いに来たお坊さんが、あの山で念仏を唱えていると信じるようになった。
イギリスの宣教師で登山家であったウェストンは、来日して日本アルプスに登り、『日本アルプス登山と探検』を著した。ウェストンは土地の猟師らの案内で、常念岳に登っている。登頂の前日、猟師の一人は、その名の由来が、この山に住む僧で、終日念仏を唱える常念坊によっている、としてこの僧の伝説を語った。数人の木こりが、この山の高価な木を伐り出そうと、登ってきた。いざ、目指した木に近づくと、どこからともなく念仏の声が聞こえてくる。木こりたちは、念仏の終りを待って仕事にかかろうとするが、一向に念仏が絶えることがない。とうとう木こりたちは、良心の呵責に恐れをいだいてその場を離れ、2度とそこに近かづこうとしなかった。これを聞いた村人たちが、いつも念仏を唱える僧のいる山、常念岳と呼ぶようになった。
深田久弥は、『日本百名山』のなかで、この猟師の話を紹介している。そして常念岳について
「松本から大町に向かって安曇野を走る電車の窓から、もしそれが冬であれば、前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通るごとに、いつもその美しい峰から目を離さない。そして今年こそ登ろうと決心を新たにするのが常である。」
と記している。