最近、山登りをしながら、ふと感じることがある。これからの人生であと何回山に来ることができるだろうか。足の疲労を感じながら、もうこの山に来るのは、これが最後か。ブナの緑に美しさに感動しながら、それと同じ量の淋しさがある。高村光太郎の詩に、「山」がある。
山の重さが私を攻め囲んだ
私は大地のそそり立つ力を心に握りしめて
山に向った
山はみじろぎもしない
山は四方から森厳な静寂をこんこんと噴き出した
たまらない恐怖に
私の魂は満ちた
ととつ、とつ、ととつ、とつ、と
底の方から脈うち始めた私の全意識は
忽ちまつぱだかの山脈に押し返した
この詩にには、山の本質が示されている。山の凄さ、自然の大きさの前に、恐怖しながらも、全意識を持って立ち向かう人間の強さが同時に示されている。自分は30年間も山に親しんできたが、こんな意識で山に向かったことがあったであろうか。もう一度来る、ということが許されない年齢になって、やはり光太郎の山に向かう姿勢には、心うたれるものがある。