明け方になって、雨が小屋の屋根を打つ音が聞こえてきた。雨か、今日の山歩きが雨のなかかも知れないという不安がよぎる。数分後には、雨の音は消え、窓から朝の光がさしこんできた。外へ出て見る。もう雨は止み、朝焼けの雲と虹が見えた。大勢の人が外に出て空の変化に歓声を上げている。気温もそれほど下がっていない。夏の登山で迎える朝だ。次第にまわりが明るくなると、鳥海山の新山が目前に迫ってくる。
朝食は5時30分。卵かけご飯、味噌汁、煮物と簡単だが、山小屋で食べるのは一味違う楽しみでもある。早々に食事を済ませて、頂上(新山)を目指す。3名の女性のグループが降りてくる。雪渓の方へ下る道の道標が分からず、登った道に引き返したとのこと。週末に加えて、花の見ごろということで驚くほどの人がこの山に入っている。四国からバスで来たツアー、神戸や大阪など関西の人も多い。神戸から来たという老夫婦は、重い足取りだが、一歩、一歩と歩を進めている。先に歩く奥さんが心配そうに夫に目を配っている。「内の75歳なんです。」と語る。70歳を超えた老夫婦が、ここへ来るという、心意気に感心する。
岩峰の新山を1時間と少しで往復する。心配した雪渓のルートも、三角錐の頂上を巻くように安全に下る。私の本棚には烏賀陽さん夫妻の『ゆっくり山旅』という本がある。80歳になるご主人が、鳥海山を登ろうと言い出した。梅雨明けの鳥海山で、山の花を堪能することが目的であった。この本が書かれたのは1987年のことである。実に32年前のことであるが、驚いたことに、書かれた内容は、今回登った山と違いがないことだ。七五三掛から外輪山を通り、頂上小屋に下っている。ご夫妻は止められて新山の登頂は果たさなかったが、千蛇谷の雪渓を下って、七五三掛へと辿っている。
この時、外輪山の断崖から石がゴロゴロと落ちてきた、書かれている。我々も雪渓の上に落ちている石を目にしたが、30年前にもこの大地の活動は変わっていない。ご夫妻の山歩きは、本の題名でもある通りゆっくりしたものだが。朝6時40分に小屋を出て、鉾立口には15時30分についている。そこまでに目にした花は、イワブクロ、アキノキリンソウ、イワギキョウ、アオノツガザクラ、チョウカイフスマ、ハクサンフーロ、シナノキンバイ、ニッコウキスゲ。聞いた鳥の声は、ビンズイ、ウグイス。
千蛇谷の雪渓から、振り返ると頂上小屋への最後の急坂が見えている。大勢の人々が息を弾ませながら登っていく。登山口からの長い道のりの後の急坂だ。マップタイムは1時間となっているが、疲労がたまった足には辛いものがあろう。やはり、ゆっくり歩く、というのが我々高齢者のキーワードだ。年老いて足を痛めているが、若いころの思い出を再現したく足を引きずりながら歩く人もいる。夏の陽ざしのなか微風に揺れる高山の花々、目を海に転じるとクジラが泳いでいるような飛島。
ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 斎藤茂吉
七五三掛を過ぎ、急坂を下り切ると、小高い扇子森が見えてくる。向うに見える山並みは笙ヶ岳だ。鳥海湖も森の蔭になっている。もう難所は過ぎた。お浜小屋で水を買い、一休みする。あとは石畳の道を、疲れた足をかばいながら淡々と下っていく。13時、全員無事鉾立駐車場に着く。本日の参加者6名、内男性3名。帰路、日帰り温泉「あぽん西浜」で汗を流す。山に来るたびに温泉に寄るが、やはりその癒し効果は何ものにもかえ難い。