常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪庇

2013年02月23日 | 登山


雪が降るなかを出発。高梨羅沙選手が優勝したジャンプ台を見ながら、瀧山の山頂を目指す。新雪は30cmほどか、ラッセルは膝上まで、ほんの短距離で息があがる。リフトを降りたあたりから、時々青空が顔を見せる。新雪に陽があたると、きれいな雪景色となる。何年ぶりかにぶつかった、最高の雪景色である。

スキー場のゲレンデでは風が強く、粉雪が舞い上がっている。尾根筋にくると、雪庇が長くはり出している。昨日と一昨日降った雪が尾根にぶつかってせり出したのだ。雪庇の下を覗くと、急峻な勾配である。冗談に「ここを踏み外すと大変だね」、「落ちないように気をつけて行ってください」とリーダー。

いつもベランダから見る瀧山である。なだらかな山容だが、裏側から見るもう一つの顔は険しい。その分だけ、神々しい美しさだ。



瀧山頂上から左に、急峻な突起がある。人を寄せ付けないような山容だが、夏は岩を伝って温泉へ下りたこともある。こんな景色にしろ、今日の気象条件を満たさなければ見ることのできない絶景である。雪庇によるアクシデントで、山頂への登攀はあきらめたが、この絶景をみるだけでこの地ヘ来たかいがあったというものだ。

雪嶺の光や風をつらぬきて   相馬 遷子

雪嶺の歯向ふ天のやさしさよ  松本たかし

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なだれ

2013年02月22日 | 登山


天気予報になだれ注意報が出るようになった。今年は寒中に暖気が二度ほど来ているので、雪は重いようだ。この絞まった雪の上に、昨日のような新雪が降ると、表層雪崩が発生する。厳冬期の雪山登山で登山者が巻き込まれるは、この表層雪崩である。この週末も寒気が
来るので、雪崩の心配はないが、気温が上がってくると、常になだれには注意しなければならない。

鈴木牧之の『北越雪譜』には、なだれの恐ろしさが書き込まれている。
「我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、2月のころにいたれば陽気地中より蒸して解けんとする時地気と天気との為に破て響きをなす。一片破れて片々破る、其のひびき大木を折るがごとし。これ雪崩んとするの萌なり。(中略)幾千丈の山の上より一度に崩れおつる、その響き百千の雷をなし大木を折り大石を倒す。此時はかならず暴風力をそへて粉に砕きたる沙礫のごとき雪を飛せ、白日も暗夜の如くその慄しき事筆に尽くしがたし」

自分も4月の」残雪のある春山で、一つ向こうの尾根の残雪が谷に雪崩れるのを目撃したことがある。その轟音は鈴木牧之が言う通り、落雷のようなすざまじさであった。もしそんな、雪崩れの下にいれば、ひとたまりもなく呑み込まれたであろう。

 なだれ  井伏 鱒二

峯の雪が裂け

雪がなだれる

そのなだれに

熊が乗ってゐる

あぐらをかき

安閑と

茛をすふやうな恰好で

そこに一ぴき熊がゐる

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冴え返る

2013年02月21日 | 日記


雨水を過ぎてから、寒波が次々とやってきている。新庄165cm、尾花沢210cm、肘折320cmこの寒波が来る前の積雪量である。今年は大寒のころから突然の暖気がしばしばやってきた。その暖気を追いかけるようにして寒波がくる。冴え返るとは、春を思わせる暖気を追いやるように、寒さがぶりかえすことである。

冴え返り冴え返りつつ春なかば 西山 泊雲

「冴え返る春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり・・・」は、清元「忍び逢う春の雪解け」の歌い出しだ。春を待つ心は、昔も今も変わらない。こんな小唄に節をつけて、冬と春の境にある人の恋心に、その厳しさを忘れようとしたのだ。

先日、新庄の人たちと話す機会があった。親戚のある尾花沢の方が積雪は多いようだが、新庄の雪も半端ではない。「どうですか、雪は」「屋根の雪降ろしをもう2回もやったよ。まったく疲れてしまう。」「去年より多いんですか」「多いなんてもんじゃないよ。雪は1m50もあるんじゃないか。道路の除雪で壁ができたけど、考えたもので、この壁に1m幅の赤い色をつけてくれたよ。これで車の運転も助かっている」

雪籠りしている尾花沢の人たちからは、ひっそりとして音沙汰もない。こちらから、電話をするべきなのか。あまりに違いの冬の世界に、想像力もなかなか及ばない。山形の積雪は30cmというが、わが家の駐車場には、この冬ほとんど雪が積もっていない。



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歌舞伎

2013年02月20日 | 日記


歌舞伎界にニュースが続く。勘三郎に続いて、団十郎の死去のニュースがファンの涙を誘ったが、坂東玉三郎がフランスの芸術文化勲章のコマンドール章を受けた。パリシャトレ劇場での特別公演を終えての受章であった。玉三郎の歌舞伎が、フランスで高く評価されたのである。映画での評価の高いビートタケシに続いての受章である。

歌舞伎座は建て替えた新劇場のこけら落としが、この四月に予定されている。出雲阿国が江戸に出てきて、歌舞伎踊りを披露したのは、慶長12年(1607)2月20日である。傾きものがその語源と思われる。異様な身振り、常軌を逸したものを指していた。よく言えば、前衛芸術家といえよう。出雲阿国に与えられた風評は、もの珍しさも手伝って歌舞伎踊りというあまり褒められたものではなかった。

阿国を描いた絵を見ると、首に経筒を下げている。阿国は出雲大社の聖職者である巫女か、その周辺の人物であったようである。戦国大名のなかにも、茶の湯に走り、目だった動きをするものをかぶき大名と呼ばれるようになった。神がかりのような出雲阿国の踊りから、洗練された歌舞伎までには、長い道のりがあるが、役者とそれを後押しするファンの美意識によって高められたのであろう。

歌舞伎の女形に注目したのは、去年、日本に帰化したドナルド・キーン氏である。

「女形は、役柄の中から女らしさを抽出し、あらゆる仕種や表情の移り変わりを通じて、舞台の女が本物の女であると観客に思わせようとする。無論、観客は彼が男であることを忘れるわけではない。そしてこの矛盾こそが女形の魅力の真髄になっているのだ。」

出雲阿国の歌舞伎踊りがお目見えしてから、405年の歳月が流れた。この長い年月、歌舞伎を演じるもの、見るものが、鍛え上げ洗練したものが、世界に認められる歌舞伎である。
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雨水

2013年02月19日 | 日記


24節気の雨水にあたる昨日、朝方の雪が午後になって雨になった。この季節になると、大気の温度が上がって、雪や霰に代わって雨が降るようになる。大寒のなかで立春といわれてもぴんとこないが、雨が降ってきて、雨水といえば実にいいタイミングだ。

亭台雨を経て塵沙を圧し

春近くして登臨すれば意気加わる

北宋の詩人が、この季節の雨を喜ぶ詩だ。雨に黄砂が洗い流されて、高台から街がきれいに眺められることに元気を貰っている。だが、現在の中国はどうか。春節を経て、工場の排煙が、大気をこれでもかというほどに汚している。そのなかには、PM2.5いう微粒を含み、マスクを通して容赦なく人間の体内へ侵入する。近代化による人間の欲望が、地球を住みにくくし、雨水を喜ぶ人間の感性すら失われているように見える。



室内のクンシランがほころんだ。一輪の花びらが部屋を明るくする。窓辺の光のなかにほころぶクンシランは、まさに我が心に意気を加える。外は夕べの雨が、朝方雪のなり、うっすらと雪景色になっている。



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