妻の実家まで、預けてあった車を取りに歩いた。歩行35分、距離にして3.5キロというところか。雪がチラチラと舞っているが、気温は上がっていく気配だ。今日は、立春、まだまだ寒いが、一昨日の雨に続いて、きょうも午後から雨の予報がでている。ただ、未明の気温が-4℃、日中に融けた雪が、すっかり氷になって滑る。転倒すると危険だ。
紀田順一郎が書いた永井荷風の評伝を読む。そのなかに、「歩く荷風」という項があって興味深い。荷風にとって歩くという行為は、読む行為に他ならない。江戸の史跡である伝通院をこよなく愛し、子どものころに住んでいた麹町永田町から英語学校の神田やその道筋にある土手から東京の景観を思い出しながら、散策を楽しんだ。昼過ぎに家を出て、帰宅したのは暗くなることも珍しくなかった。散策の時間は6時間、距離は9.2キロと紀田は計算している。
自分の朝の散歩をGPSの軌跡で見てみると、悠創の丘までが5.3キロであった。山行でも里山は3キロから5キロといったところで、よく歩いているつもりだが、荷風の歩いた距離からすると実に少ないことが分る。
「堤防の上に佇めば、右も左も枯蘆ばかりにて船も人家も遮られて目に入らず、幽静限りなし、折から日は既に砂村の彼方に没し晩照の影枯蘆の間の水たまり映ず、風景ますます佳し」
人影とてめったにない武蔵野の蘆原でひとり風景に見入る荷風は、戦時に高揚する街の風景とは対極にあった。精神分析では、水は母性の象徴である。荷風が求めたものは、散歩の途次にある娼家ではなく、母の慈愛であったのかも知れない。