常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

茎韮(くくみら)

2013年02月08日 | 万葉集


きはつくの丘の茎韮(くくみら)吾摘めど籠にも満た無ふ夫(せな)と摘まさね(巻14)

くくみら(茎韮)を辞書にあたると、くくはくき、みらはにらの古名とある。つまり、董が立つまえの韮の茎ということである。わが家の畑は雪の中であるが春の情景を詠んだ歌を選んでみた。写真は昨年の春、韮が摘むばかりになったところを撮ったものを使用した。きはつくの丘は固有の地名だが、学者の研究によると茨城県真壁郡にある丘をさすらしい。

万葉の時代でも、山菜や野菜を摘んで、食卓の準備をするのは若い女の仕事であった。おそらく同じ岡には、同じく若い男の姿もあったであろう。摘んだ韮を籠に入れているのだが、なかなかいっぱいにならない。あなたと一緒に摘めばすぐに籠がいっぱいになるのにと、甘えて見せている。

春の晴れた日を選んで、若い男女が野に会合して、カップルを選ぶ行事が行われた。そんなときに、女の法から、呼びかけの歌としていかにもふさわしい。

もう一首。

君がため山田の沢に恵具(えぐ)摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ (巻10)

恵具はいまは用いられていないようだが、くろぐわいのことらしい。沼地に生え、直径1~2センチの根茎はを食用とした。この歌も、春の若菜摘みの行事の宴で詠まれたもののようである。この時代の北国では、長い間雪に閉ざされ、人に会うことも稀な期間が長く続く。春の訪れは、それだけに人々の心を弾ませ、女たちは美しく装った姿を野に見せたことであろう。いとしい君のためであれば、裳裾が濡れても厭いはしない、という気持ちが込められている。春の訪れとともに、野には若葉が萌え、若いカップルが生まれることになる。
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