この季節、湯豆腐を好んで食べるが、鱈のアラを煮るドンガラ汁がいい。豆腐にタラのアラの出汁が沁みこんで、何とも暖かい夕飯になる。骨の間に挟まっている血合や骨についた身が味噌の味にからんで、この時期ならではの味わいがある。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
万太郎はこの句に自らの生をからめて詠んだのであろうが、その真意は知らない。だが、長年、寒い冬の消寒の食として好んで食べてきた自らの生を振り返って見る年になって、この句が語りかけて来るものに深い味わいがある。
朝、しんしんと降っていた雪が上がり、夕日が沈むころ夕焼けが美しく見えた。こんな夕空にも、万太郎の「いのちのはてのうすあかり」の詩語がよく似合う。万太郎という俳人は家族の情に恵まれなかった。最初の夫人は毒を飲んで自ら死を選んだ。そんな出来事のせいか、自分の殻に閉じこもって、肉親へも背を向けるような人生を送ったらしい。
万太郎は、あの淡白な味の湯豆腐に、生の何たるかを見出したのであろうか。その万太郎の句をもう一句。
走馬燈いのちを賭けてまはりけり