歌舞伎界にニュースが続く。勘三郎に続いて、団十郎の死去のニュースがファンの涙を誘ったが、坂東玉三郎がフランスの芸術文化勲章のコマンドール章を受けた。パリシャトレ劇場での特別公演を終えての受章であった。玉三郎の歌舞伎が、フランスで高く評価されたのである。映画での評価の高いビートタケシに続いての受章である。
歌舞伎座は建て替えた新劇場のこけら落としが、この四月に予定されている。出雲阿国が江戸に出てきて、歌舞伎踊りを披露したのは、慶長12年(1607)2月20日である。傾きものがその語源と思われる。異様な身振り、常軌を逸したものを指していた。よく言えば、前衛芸術家といえよう。出雲阿国に与えられた風評は、もの珍しさも手伝って歌舞伎踊りというあまり褒められたものではなかった。
阿国を描いた絵を見ると、首に経筒を下げている。阿国は出雲大社の聖職者である巫女か、その周辺の人物であったようである。戦国大名のなかにも、茶の湯に走り、目だった動きをするものをかぶき大名と呼ばれるようになった。神がかりのような出雲阿国の踊りから、洗練された歌舞伎までには、長い道のりがあるが、役者とそれを後押しするファンの美意識によって高められたのであろう。
歌舞伎の女形に注目したのは、去年、日本に帰化したドナルド・キーン氏である。
「女形は、役柄の中から女らしさを抽出し、あらゆる仕種や表情の移り変わりを通じて、舞台の女が本物の女であると観客に思わせようとする。無論、観客は彼が男であることを忘れるわけではない。そしてこの矛盾こそが女形の魅力の真髄になっているのだ。」
出雲阿国の歌舞伎踊りがお目見えしてから、405年の歳月が流れた。この長い年月、歌舞伎を演じるもの、見るものが、鍛え上げ洗練したものが、世界に認められる歌舞伎である。