常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

道真左遷

2014年02月25日 | 日記


延喜元年の秋、太宰府に左遷させられた道真のもとに、妻からの手紙が届く。手紙には紙に包んだ生姜と竹籠いっぱいに詰めた昆布が添えてあった。妻の島田宣来子は配所にある道真の身体を思いやり、生姜は薬とし斎戒の折には昆布を食べて欲しいと書いた。妻は道真のいない家の様子を、西門の樹木は移去、北地の園には客を起居させていると伝えている。それだけで、樹を売り、園地を貸して生活の足しにしていることが分かる。だが自らの不安は少しも書かず、道真の身のみを案ずる妻の心根がかえって道真に憐れの情を起こさせる。

都府楼には纔に瓦の色を看る
観音寺には只鐘の声を聴く

道真は配所にあった外出を禁じられていたわけではないが、家を一歩たりとも出ようとしなかった。都督府の楼門も、観音寺も配所から目と鼻の先である。道真は配所の軒先に見える楼門の瓦の色を見るにとどめ、観音寺はその鐘の音でそのありかを思う。道真はこの対句を白居易の遺愛寺の鐘に見立てているが、同じ左遷でもその失意は道真に比べられるものではなかった。

老僕綿を要むること切なり
荒村炭を買うこと難し

配所の冬は寒い。荒れた村老僕にことよせた詩文ではあるが、自らの境遇を詠んだものでもある。延喜3年(903)2月25日、道真は失意のうちに身体の衰えをとどめ得ずに死去した。宇多天皇の寵を得て文章博士に任ぜられ、右大臣にまだ登りつめた道真の淋しい晩年であった。

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氷柱

2014年02月24日 | 日記


今年は立春を過ぎてから氷柱が見られるようになった。今朝も-5℃を記録して、なかなか春が来ない。寒気が厳しいと屋根から落ちる水滴は途中で氷って氷柱になる。氷柱をつたう水滴はまた氷るから氷柱は次第に成長する。

軒氷柱煮炊きの用を軽んずる 井上  雪

光禅寺の境内は雪が積もったままである。足を踏み入れてない雪の溶けたものが、今朝の冷え込みで固雪になった。この固雪を踏む感触は春を思わせる。子供のころ春先に固雪を踏んで遊んだり、近道をして通学したことを思い出すからだ。固雪の上の空は決まって青空だ。朝日が固まった雪をきらきらと光らせる。カメラを携えてその雪を上を歩くのが楽しい。



庭に回ると、池はすっかり雪に覆われている。葉に積もった雪が竹を半円にまでしなわせている。もう少しで折れそうだが、梅の木に支えられてかろうじて姿勢を保っている。


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仙人掌

2014年02月23日 | 日記


仙人掌(サボテン)の棘は、葉が退化したものである。触ると痛いが、全身を規則的に覆う棘は白く美しい。体内に取り込んだ水分の消失を防ごうとするもので、砂漠などの厳しい環境のなか適応するための知恵である。季節が進んで温かくなると、針の間に潜んでいた花芽が、いつの間にか伸びて美しい花を咲かせる。

仙人掌の針のなかなる蕾かな 吉田 巨蕪

雪崩注意報が出ている。今年は溶けかかった雪の上に大量の雪が降ったので表層雪崩の危険も大きいが、気温の上昇とともに全層雪崩にも注意が必要だ。雪崩が起きやすい地形がある。やはり下に障害物の少ない急斜面である。いつも雪崩が起きると木が育たずに低い背の草が繁茂する。このような場所は春先の山菜を採る絶好の場所になる。一見スキー場のようになっているのよく目につく。こんな場所はなだれ道とも呼ばれている。


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台湾坊主

2014年02月22日 | 日記


2月に大雪を降らした低気圧は南岸低気圧と呼ばれた。ひと昔前は台湾坊主と呼ばれた。「台湾坊主がお辞儀をして通る」。低気圧が腰をかがめて、列島に遠慮がちに通ると予報された雪や雨が降らずに青空になる。低気圧もこんな愛称で呼ばれていたが、最近は大雨や大雪の大きな被害をだすので、南岸低気圧、さらに爆弾低気圧と呼ばれるようになっている。

2月から3月はこの台湾坊主が最も発生しやすい季節だ。この低気圧の発達によっては、太平洋岸に大雪が降る可能性がある。普段あまり雪の降らない地方だけに、雪の被害は甚大である。野菜を栽培しているビニールハウスが倒壊して野菜が不足し、追い討ちをかけるように物流に生命線である道路が寸断されて店頭から野菜が消え、価格が高騰している。

降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男

この句は明治のころはよく雪が降ったが、近年はあまり降らなくなった実感を詠んだものだが今月の大雪を見ると、このような感じは吹き飛んでしまうようだ。平成26年2月の大雪は、長く人々の記憶に残るであろう。


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画竜点睛

2014年02月21日 | 日記


デジカメの機能にピント合わせがある。花を撮る場合、ピントを花のなかの雌しべに合わせることも可能だ。人物撮影では、ピントをどちらか一方の目にあわせることで、豊かな表情を表現することが可能である。中国の故事に画竜点睛というのがあるが、今日のデジカメはこの故事を思い起こさせる。

南北朝の時代、南朝の梁の国に張僧繇という人物がいた。軍の将軍や地方の太守でもあったから、役人としての地位もあったが、張僧繇の名を高らしめたのはその画筆であった。山水画はもとより、寺院が多くあるこの国で仏画も得意であった。彼の画筆からはあらゆるものを生けるがごとく描き出した。梁の国の伝説的な大画家として語り伝えられている。

あるとき、張僧繇は金陵の安楽寺から、龍を画くことを依頼された。張は寺の壁に向かって力強く筆を躍らせた。黒く湧き上がる雲を蹴やぶって天に登ろうとする二匹の龍。鱗の一枚一枚、鋭く尖る爪のひとつひとつに強い躍動感が漲っている。この画を見るものは、誰もが感嘆の声をあげた。ただ不思議なことが一つあった。その龍には晴(ひとみ)が画きこんでいなかった。

街中の詮索家がその理由を知りたがった。張は答えた。「この龍に晴(ひとみ)は入れられないよ。それを入れたら、龍は寺の壁を蹴破って天に飛び去ってしまう」すると「まさか、それなら本当かどうか試しに目を入れてみろよ」という声がしきりに上がり、とうとう龍に晴を入れることになった。大勢の見物人の前で、張僧繇が一つの龍に晴(ひとみ)を入れた。すると、壁のなかから電光がひらめき、激しい雷鳴が轟いた。見れば、鱗をひらめかせた巨大な龍が壁から躍りだし空高く舞い上がっていった。

人々の驚きようは、肝がつぶれるばかりであった。我にかえって壁に目をやると、双龍の片方はすでに無く、晴を入れてない一つだけが残っていた。ありえない話ではあるが、大事な仕上げには、重要な眼目を加えることの重要さを説いたものだ。「画竜点睛を欠く」といえば、全体としてはよくできているが、大事な一点が足りないということになる。


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