延喜元年の秋、太宰府に左遷させられた道真のもとに、妻からの手紙が届く。手紙には紙に包んだ生姜と竹籠いっぱいに詰めた昆布が添えてあった。妻の島田宣来子は配所にある道真の身体を思いやり、生姜は薬とし斎戒の折には昆布を食べて欲しいと書いた。妻は道真のいない家の様子を、西門の樹木は移去、北地の園には客を起居させていると伝えている。それだけで、樹を売り、園地を貸して生活の足しにしていることが分かる。だが自らの不安は少しも書かず、道真の身のみを案ずる妻の心根がかえって道真に憐れの情を起こさせる。
都府楼には纔に瓦の色を看る
観音寺には只鐘の声を聴く
道真は配所にあった外出を禁じられていたわけではないが、家を一歩たりとも出ようとしなかった。都督府の楼門も、観音寺も配所から目と鼻の先である。道真は配所の軒先に見える楼門の瓦の色を見るにとどめ、観音寺はその鐘の音でそのありかを思う。道真はこの対句を白居易の遺愛寺の鐘に見立てているが、同じ左遷でもその失意は道真に比べられるものではなかった。
老僕綿を要むること切なり
荒村炭を買うこと難し
配所の冬は寒い。荒れた村老僕にことよせた詩文ではあるが、自らの境遇を詠んだものでもある。延喜3年(903)2月25日、道真は失意のうちに身体の衰えをとどめ得ずに死去した。宇多天皇の寵を得て文章博士に任ぜられ、右大臣にまだ登りつめた道真の淋しい晩年であった。
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