常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

饅頭の起源

2014年08月23日 | 日記


温泉宿の土産に温泉饅頭を選ぶことが多い。もう日本人の暮らしにすっかり溶け込んだ饅頭であるが、起源をたどると興味深い話題に行きあたる。中国の三国志の英雄諸葛孔明(没234年8月23日)が、奇しくも饅頭の発端である。劉備の陣に参じ、蜀王朝の成立に功績があった孔明あるが、孟獲を征服したとき蛮神を祀る必要があった。

その祀りの習わしでは、人身御供として人の首を供える風習があった。孔明はこの野蛮な風習を止めさせ、代わりに羊の頭を供えさせた。この習慣が後世には中に肉の餡ををつめた麺の饅頭になった。今でも中国の饅頭は肉饅が主流である。孔明が蛮神を祀った名残は、連綿として中国の食文化に息づいている。

日本に饅頭が伝わったのは、南北朝のころである。京都の建仁寺の35世龍山禅師が留学から帰朝した。妻帯して奈良に住んだが、中国で覚えた饅頭を作った。これが「奈良まんじゅう」のはじまりである。だが、日本では肉食が禁じられたいた。そこで肉の代わりに小豆のアンコを使った。

身は未だ昇騰せざるに退歩を思う
功成りて応に憶うべし去りし時の言
只だ先主の後を丁寧するに因りて
星は落つ秋風五丈原  (土井晩翠)

偉人が世を去るとき、「巨星落つ」の表現が用いられるが、孔明の死に際して用いられたこの詩がその源である。先主から後を頼むの願いを聞いたために、この戦場である五丈原で没することになってしまったのである。234年8月23日のことであった。

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山雨

2014年08月22日 | 漢詩


前線が東北地方に停滞したままである。雷雲が発生して雨を降らせるのは、標高の高い山に早く降る。標高が高いほど気温が低くなって雲が水分を保持しえなくなるからである。同じ理由で気温が下がる夜間から未明にかけてに多くの雨が降る。この度の広島土砂災害でも、雨は午前2時から4時にかけて激しく降った。

唐の詩人、許渾に「咸陽城の東楼」という詩があるが、雷雲が起きて雨が今にも降り出そうとする瞬間を捉えて緊迫した情景を詠んでいる。

渓雲初めて起こりて日閣に沈み

山雨来たらんと欲して風楼に満つ

鳥は緑蕪に下る秦苑の暮れ

蝉は黄葉に鳴く漢宮の秋

対句の技法を駆使して、古跡をとりまく自然の動きをみごとに捉えている。渓雲と山雨、閣と楼、鳥と蝉、緑蕪と黄葉、秦苑と漢宮。風が吹き、蝉が鳴き、人々を懐旧の想いに引き込んでいく。

こんなことを書いているうちに、朝からの雷雲が崩れて雷光が走り始めた。急に突風が吹き雷鳴がとどろく。数キロ北に激しい雨の気配が見える。




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ニラの花

2014年08月21日 | 農作業


ニラ穂の出盛りである。どの株にもたくさんのニラ穂が出て、採るのも大変だ。採りこぼしたニラ穂が可憐な花を咲かせる。線香花火を下の方から見ているようだ。今朝、みそ汁に入れて食べたが、季節の味がしてうれしかった。ものの本では、ニラ穂を塩漬けにして食べると書いてあるので試してみよう。

寡婦の手にあまる捨て畑韮咲けり 米田双葉子

畑で勢いのいいのは雑草だ。ニンジンの種はかろうじて発芽し、小さな芽を出した。雑草を取りながら、オクラやトマトを収穫する。朝は気温が下がってきたとはいえまだまだ残暑は厳しい。前線は山形県と秋田県の間にあるらしく、秋田は秋、山形は夏という気温差が明瞭である。夏の高気圧のへりに沿って吹き込む湿った空気と北から降りてくる冷気のぶつかるところで大雨が発生している。秋の冷気が優勢になって、秋晴れとなる日が待ち遠しい。朝から広島の土砂災害のニュースが流れる。避けがたい悲惨な災害だ。心のなかでお悔やみと一日も早い復旧を祈るばかりである。


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客舎雨を聴く

2014年08月20日 | 漢詩


西郷隆盛は明治維新に命をかけた政治家である。その清廉潔白な姿勢は、今日に至っても忘れ去られることはない。西郷は新しい社会の到来のため、粉骨砕身の慌しい日々を送ったが、そのかたわら漢詩を詠んだ。その数は確認されているだけで200首を超える。波乱万丈の生涯は、この漢詩のなかに書き残されている。忠誠、詠史、憂愁といわれる詩で自らの心情を吐露し、人間のあるべき姿を詠んでいる。同時に温泉や遊猟などの慰みで心をいやし、自然を詠むことで維新のさなかにあった身の慰めを求めた。

客舎雨を聴く

一陣の狂風雷雨の声

甲兵来り撃って相驚くに似たり

愁城暗に築く天涯の客

客魂倐ち摧けて分外に清し

天涯の客とは遠くからやってきた旅人、自分自身を指している。愁城は愁いの城で、旅人の心が愁いのなかにあるという意味である。この驚くような雷雨が、その愁いを吹き飛ばして安らかで清々しい心境に至ったことを詠んでいる。

西郷のころの雷雨はこんな効用もあったようだが、この2週間九州、四国、近畿を襲った大雨はその域をはるかに超えてしまっている。愁城にこもることを許さず緩んだ地盤は土砂崩れを起こし、人々の愁いは深まるばかりだ。


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小さい秋

2014年08月19日 | 日記


残暑がぶり返している。きのうの32℃に続いて、きょうは33℃の予報。朝からの気温の上昇具合をみると、34℃になってもおかしくない陽気だ。畑仕事を休み、いつもの散歩コースに秋の気配をみてみることにした。先ず目を引いたのが、庭先でぶらさがる瓢箪である。これは果肉に毒性があるため、熟したものを加工して、酒などの容器として利用する。プラスチックがあるため、瓢箪はあまり見かけないが、その形を愛でる人もいていまも栽培して容器を作る人もいるらしい。加工の仕方は蔕の部分に穴を開け、水に浸けて中身を腐らして取り出し、しっかり乾燥させ、漆などを塗って強度を持たせまた美しい仕上がりにして利用する。もう少したてば、この瓢箪の収穫時期も近いようだ。



ススキが穂を出していた。一名尾花とも言われているススキは、出穂するとまもなく花をつける。近くに寄ってみるとなるほど花が咲いている。高原一面に穂が出て風に吹かれる様はまさに秋の風情だが、穂が出たばかりの赤みがかったのもなぜかいとおしく思える。秋の七草のひとつでもある。

をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田 蛇笏



青空をバックにして咲くコスモスも可憐である。一重咲きのピンクの花が、もっともこの繊細な葉に似合っていて好きである。カメラを向けると恥らうように風に揺れていた。高原に咲き乱れるコスモス畑の先ぶれのように咲いていた。この花もまた秋のシンボルであるが、人に淋しい感情を起こさせる。

コスモスの花あそびおる虚空かな 高浜 虚子



「実るほど頭を垂れる稲穂かな」稲の実りに秋を感じる。先週あたりはまだすっくと立っていた稲穂だがもうこんなに重たそうに穂を垂れ下げている。田にはまだ水がたっぷりと張ってある。蛙の合唱もいつの間にか聞こえなくなっている。



散歩道の桜の木の下に何か固まっている花のようなものが見えた。近寄って見ると、大きく開いたキノコだ。少しクリームがかって採集したことないキノコだが、手に余るほどの株がふたつ。香りもよく状態も良好なので採って持ち帰る。図鑑を調べると、ハナビラタケで食用とあった。さっそく妻が豆腐汁にしてくれたので食べてみるとうまい。ことしの初物のキノコだ。秋の訪れとともにキノコにめぐり合えたのは望外の喜びである。

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