常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

勤労感謝の日

2014年11月23日 | 日記


勤労感謝の日、この祝日は戦後の新憲法になって制定されたものだ。その前は新嘗祭といいその年の米の収穫に感謝し、このお祭りから新米を食するのが一般であった。神道の一年で一番大きなお祭りで、この日は天皇陛下も神に祈りを捧げた後、神饌を食される。わが家では、今年畑に植えたものだけを食卓にのせて、一年の食に感謝の意を表わした。



みそ汁にはシュンギクを使った。種を蒔いて、ようやく秋の日のなかで伸びはじめた新芽をおろぬいたものである。土と太陽の力を受けて伸びようする新芽は、体内に取り入れるとそのエネルギーをそのまま貰うことができる。



ヤーコンとニンジンのきんぴら。このふたつの根菜の持っている甘みが、油と醤油とからまっていい味を出す。親戚からいただいた新米とシンプルな惣菜で、しみじみとその旨さを味わう。11月の3連休は、静かに暮れた。
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晩秋

2014年11月22日 | 農作業


ススキが枯れて穂は今にも風で飛ばされそうだ。こんな景色をみると、晩秋の感を深くする。周りの木々の葉も大半が落ちて、枝だけがむなしく空を仰いでいる。青菜の収穫し、大根を掘る。アスパラや菊の木を倒し、株の付近に牛糞を施す。夏菜もほぼ最後の収穫となり、秋に蒔いた春菊が伸びてきたので、二度目の疎抜き。この小さい春菊は、柔らかいくて香りは一人前だ。ほんの一回分の浸しができる。

冬芒こぼるる光天に帰るす 西谷  孝

今年の農作業は、十分とは言えないが、そこそこの収穫ができ、子どもたちにも送ることができたので、まずまずとしなければならないだろう。来年は、もっと充実した畑にしたい。もっともっと、畑に手をかける時間を増やさなければだめだろう。除草と施肥、土をつくるのがこれからやるべきことだが、年々身体を動かすのがきつくなっている。


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夜の鶴

2014年11月21日 | 日記


蔵王山に雪が降って、真っ白である。お釜の付近で、火山性の微動が観測され、火山のマグマが活動を始めているらしい。御嶽山の噴火を見ているので、蔵王の活動も心配だ。その活動を覆うように、純白の雪が山を覆い始めた。北海道では、連日の寒気で、もう本格的な冬がきている。凍て鶴というのは、寒さのなかで、鶴は長い首を後ろに曲げて羽の間に入れて、身じろぎもせずに立ちつくす姿をいう。鳥は寒さにめげずにいるのであろうが、それを見た人は、凍て鶴と呼んで鶴の姿に心を寄せた。

凍て鶴は夜天に堪えず啼くなめり 山口 誓子

諺に、「焼け野の雉子、夜の鶴」というのがある。雉は野が焼かれると、自らの危険を顧みずに雛の上に覆い被さって焼け死んでしまう。火が消えた後、焼け死んだ雉の下から雛が出てくる。鶴の方は、あまりの寒さに凍えそうな雛を夜も寝ずに羽で覆って守る。どちらのも、子を思う親の心を示した諺である。唐の詩人、白楽天の詩に「夜鶴子を憶ひて籠中に鳴く」という句が、この諺の初めらしいが、こんな情愛も時代とともに薄れつつある。


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小春日和

2014年11月20日 | 日記


「寒い日があるかと思うと、またばかに暖かい日がある。それからまたいっそう寒い日が来る」と、小春日和のころの天候の移り変わりをこんな風に書いたのは、島崎藤村であるが、その通りに秋は冬へと向かっている。そのいっそう寒い日に悲報が届いた。ひとり暮らしをしていた義兄が、風邪をこじらして肺炎で緊急入院したが、医師の手におえずついに帰らぬ人となった。

人が亡くなると、見送りに来る人の口にでるは、生前の、それも若き日の回想である。長い月日、父との行き来を閉ざしていた娘は、会いたいと思っていた胸のうちを明かした。何も恐れるもののない、自信に満ち溢れたころの生き様を回想すると、人生というものが、ほんの少し見えてくる。もう会えなくなってしまって、初めて分かる人の心がある。

死にせれば人は居ぬかなと嘆かひて眠り薬を飲みて寝んとす 斉藤 茂吉

思えば今年は、大きな出来事が重なってやってくる年である。義母の入院から、同居。娘の舅の入院、そして義兄の死。それは、周りの人々が高齢になったことから起きる必然でもある。こうしたものを背負いながら、今後を生きていくことになる。民生委員の方の言葉が重い。「介護には覚悟が必要ですよ。」


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いろりばた

2014年11月17日 | 読書


戦後の学校で生活綴り方教室という教育があった。自分たちの生活をありのままに、作文しようというのだ。山形市山元村中学2年生を指導した無着成恭の編んだ『山びこ学校』は、この教育の生んだ金字塔であった。この生徒たちの文集をひもとくと、戦後間もないころの山村の様子が生き生きと浮かびあがってくる。

いろりばたで、学校に行っているカツエは、今度綴り方で「いろりばた」と題した作文を書くことになったと話した。兄は「にさなの、つづり方など書ぐえっか」とカツエに言った。にさというのは方言で、お前という意味だ。父が口を出して、「どれ、おれ、おせっかなあ」と言う。つまり、父が俺がどう書くか教えてやるというのだ。いろりのまわりいたみんながげらげらと笑った。カツエはまじめに、「んだら、おせろ」。この意味はそれでは、教えて、ということだ。

父の言葉を原文のまま抜書きする。
「兄つぁ、わらず作るす。姉はんは縄をなう。おっつぁ(父)はそれを見ながら腹あぶりしている。カツ子あ、おっつぁからつづり方を聞いてるす。豊七は早くねだす。すずかな(静かな)夜で、いろりの火はぼんぼんもえでいる。みんなだまって仕事したて書いてやれ」

カツエは「ほだごと書いて笑ろわれんべっ」と言ったら、父は「えまの話は本当のことだどれず。本当のこと書いたのを見て笑ろう人などえねっだな。」

『山びこ学校』には、方言がそのまま書かれている。こんな親子のやりとりひとつにも、方言はその情愛をたっぷりと含んでいる。このごろの、学校へ行っている子どもたちの話を聞くと、方言はすっかり影を潜めた。テレビやラジオのことばが、そのまま使われて聞きやすくなった。しかし、その分心の襞を表現するには、何か物足りないものを感じる。

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