常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

切抜帖

2017年01月20日 | 日記


もう40年も前になるが、新聞の切り抜きに凝っていたことがある。関心のある分野の記事をためて分類整理することで、役立つと信じてくる日もくる日も切抜にいそしんでいた。今もそのときに切り抜いたものが、B6の台紙に張ってファイルに綴じ込んで取っていたものが、本棚の片隅を占めている。もうほとんど見ることもないのだが、暇なとき取り出して眺めることもある。「日記から」というコラムの切り抜きが一番多く残っている。スタンプで年月を記したが、見ると53年10月などとあり、すでに新聞は黄ばんで変色し、活字も今のものから見るとかなり小さい。

「日記から」のコラムは、当時活躍していた作家や文化人が10日ぐらいづつ、リレー式に登場して日記風のエッセーを書いたものだ。瀬戸内寂聴、戸板康二、宮本研、加賀乙彦、宇野千代などの名が並んでいる。このコラムで作家の宇野千代が、「つい目の前に」と題して面白いエッセイがあるので紹介してみる。宇野は当時、仕事の助手に女性を家に入れていた。彼女の出身は、長崎県の西彼という海に面した町である。宇野千代が西彼に行って気づいたことがある。その風土が育てたものか、土地の人が独特の表情を共有しているということだ。

「見知らぬ私たちに会うと、ちょっと頭をたれて、何とも言えない、あれは笑顔と言うほどでもない、強いて言えば、モナ・リザの微笑、とでも言うような顔つきして、行き過ぎる」という風に書いて、西彼の人たちの奥ゆかしいたたずまいを紹介したあと、自分のど忘れ事件について書いている。

「あら、私の手拭きはどこにあるの」と私は食事の間で、幾度もきいた。しかし、女の子は、「ほら、さっきお上げしたでしょう」とは決して言わない。いま初めて、私にきかれた、と言う風にして、その手拭きをとりに立つのである。手拭きは例によって、私がど忘れして、つい自分の眼の前においてあるにもかかわらず。

こんな文章の触れるだけで、昭和の世相が甦る。切抜帖が半世紀近く経って生きてきたように思う。そういえば、当時、切抜を貼る台紙の調達に苦労した話を、印刷所の営業さんに話したところ、罫入りB6用紙に穴を開けて5000枚もの台紙をプレゼントしてくれた。先ごろ亡くなられたy印刷のm社長である。その用紙はいまだ使い切れずに、メモ用紙と使っている。Y社長の形見が、なお生きているいうことである。
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2017年01月19日 | 日記


寒中とはいえ、少し気温が上がると、山形盆地の川ある付近に霞が立ち込める。これは、細かな水滴が空中に浮遊し、遠くがぼんやりとして見えにくくなる現象だ。春先によく現れるので、春の景色と思われている。山形城が霞ヶ城と呼ばれるのは、白鷹の丘陵から見た城に霞がかかって敵の眼に見にくかったので、こんな名がついたらしい。

城下町であった山形には、商業の発展を物語る市日を示す町名が残っているが、その外側には職人町が置かれていた。戦国時代を生き抜くために必要な軍需品の生産を必要としていたためである。曲げ物細工の桧物町、桶製造を担う桶町、漆器製造業塗師町、金銀細工の銀町、蝋燭製造の蝋燭町、材木業者の材木町、弓製造の弓町、刀の鞘を製造する鞘町、鉄砲製造業者のいた鉄砲町。また馬見ヶ崎川の北側に鍛冶町、銅器製造の銅町を置き、火を使う職人の町を北側の風下に置いて火の用心への配慮も図られた。

これらの町名は、私がこの地に住んだ昭和30年代には多く残っていたが、行政の町名表示の簡素化によって多くの昔なつかしい町名が失われしまった。いま藤沢周平の時代小説に親しみを感じるのは、海坂藩などの小説の舞台に、江戸の生活のリアリティが書かれているからであろう。もし、藤沢が山形の城下町を描く小説を書けば、山形の江戸は生き生きと甦ってくるに違いない。
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大寒

2017年01月17日 | 日記


暦の上では、今年は20日に大寒を迎える。一年で一番寒い季節だ。ここ10日ほど居座っていた寒気がようやく峠を越し、少し緩んでいる気がする。20日から週末にかけて、再び寒気の張り出しがありそうで、大寒が去っていくのを身をこごめてやり過ごすしかない。唐の詩人杜甫は、暖かいはずの南方の四川州で雪に降られ、打ち震える経験を詩に詠んだ。

漢時の長安雪一丈

牛馬毛寒くして縮んで蝟の如し

楚江巫峡氷懐に入り

虎豹哀しく号んで又記するに堪えたり

牛馬の毛が針鼠のようになるとか、虎や豹が寒さに耐えられずに鳴き叫ぶ、など誇張のきいて表現をしているが、寒波を経験するとその誇張もうなずくことができる。だが、一陽来復、冬至を過ぎてひと月、昼の時間は確実に長くなりつつある。
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春を待つ

2017年01月17日 | 日記


人間の感情などというものは実にいい加減なものだ。松の内まで余りの少雪に、春の気分を味わいながら、その異変をいぶかっていた。ところが、一旦雪に降られて周り中が雪景色になってしまうと、春を待つ心を思い出してしまう。本棚を眺めて、取り出したのは島崎藤村の『春を待ちつつ』。藤村はこのエッセーのなかで、青春時代に作った一篇の詩を再録している。

心の宿の宮城野よ
みだれて熱きわが身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとり寂しきわが耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深きわが目には
色なき石も花と見き

この詩のあとに、藤村は自分の前に立ちはだかった苦難に触れている。「前途は暗く胸のふさがる時、幾度となく私は迷ったり、つまずいたりした。」藤村はそんな青春の暗い時代を、冬の厳しさになぞらえている。そして藤村は結論付ける。「眼前の暗さも、幻滅の悲しみも、冬の寒さも、何一つむだになるもののなかったような春の来ることを信じぜずにはいられない。」

人間はこんな現実をくり返しながら、年を重ねていくのであろう。藤村の詩には、青春の苦悩や甘美があふれているが、そのまま人生の縮図になっている。
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雪晴れ

2017年01月16日 | 日記


厚い雪雲が薄れて、隙間に太陽が姿を見せるのは何日目だろうか。この瞬間こそ、雪景色の美しさが際立つ。雪国に住む人が、閉塞感を解放され喜びを感じる時でもある。同時に、積もった雪を除き、駐車場の車の雪を払って、動き出せるようにする重労働が待っている。集合住宅で、雪の間は隣人と顔を合わせることも少ないが、雪片付けで今年初めて見る顔をもある。

ふるさとに東歌あり根雪ふむ 軽部烏頭子

きょうの新聞によると、15日午後4時の積雪は、青森酸ヶ湯246㎝、山形県大蔵村245㎝、新潟県津南町146㎝。この数日の雪がいかに大雪であったかが分かる。因みに、山形市はほどんど積雪がないと思っていたが、外をみてびっくり。車の屋根に雪が積もり、車の進入路の確保も必要だ。積雪は38㎝。錦織選手の一回戦突破を確認して除雪に行く。
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