常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大平山

2017年01月25日 | 斉藤茂吉


昨日までの雪が止み、一転青空が広がった。空が澄んで目に沁みるようだ。ただし放射冷却で気温は-7℃まで下がった。こんな日ベランダから四囲の山々を見るのは心楽しい。西南の方角に、上山の虚空蔵山が、その三角錐の美しい姿を見せ、その奥に台形をした大平山が見える。この週末に登山を計画している山である。こんなにきれいに見えるのは、今年一番である。カメラに収めた山の姿も満足にいくものである。

虚空蔵山には登ったことはないが、大平山から上山の集落は箱庭のような眺めである。昭和17年5月6日、斎藤茂吉は弟と連れ立って虚空蔵山に登り、一首を詠んでいる。

眼下に平たくなりて丘が見ゆ丘の上には畑がありて 茂吉

眼下に広がる嘱目の詠であるが、茂吉は郷里の地形をその目に焼き付けようとした意図がうかがえる。すでにこの季節には、山の木々は深緑に輝き、眼下の畑には麦畑が一段と青さを増し、丘の上の畑には菜の花の黄色な花が咲き誇っていたことであろう。

虚空蔵山はいまでは虚空蔵菩薩を祀っているからこう呼ばれるが、昔は高楯と呼ばれる山城であった。地形から見ても街道から敵軍が押し寄せてくる様をうかがうのに適したところである。東に目を転ずれば、三吉山が迫り、上山は温泉を抱く狭い土地である。月岡城やまたこの三角錐の山上に城を築くには合理性があったように思える。
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不断草

2017年01月24日 | 農作業


ナツナ(夏菜)を植えて、晩春から秋遅くまで収穫して食卓にのせた。葉が大きく成長するのにいつまでも柔らかい。実に重宝する野菜である。唐チサとも云われ、不断草とも言われる。この野菜は、野菜作りを始めたばかりのころ、どの野菜も収穫が始まっている時期でも作りやすい野菜として知人から教わったものだ。妻は戦後、食料のない時代に、食べる野菜は決まってナツナで、あまり好みではなかった。しかし、コマツナやホウレンソウを植えて失敗したが、ナツナはよく育った。食べるとおいしいので、妻の抱いていたイメージも良くなった。

新関岳雄先生が昭和58年頃、山形新聞に連載した『文学の散歩道』という本がある。その一項で紹介されているのが、山本周五郎の短編『不断草』である。米沢藩の下級武士の妻菊枝は、ある事情で離縁されてしまう。しかし、その夫も罪を受け追放の身になってしまう。離縁されても夫を忘れられなかった菊枝は、姑の身が案じられてならない。実は姑は目が不自由で、自活できない身であった。菊枝はこの姑が、唐チサが大の好物で、種を絶やさないようにといつも言っていたことを、よく覚えていた。

菊枝は名を変え、身を隠し女中として姑の家に住み込んだ。畑の空き地に、祈るような思いで唐チサ、つまり不断草の種を蒔いた。「一粒でもいいから芽を出しておくれ。」その願いがかなって成長した唐チサを、夜の食卓に出した。

「姑はひと箸でそれと気づいたらしい、いつもは表情のない顔がにわかにひきしまり、ふと手をやすめてじっと遠くの物音を聴きすますような姿勢をした。菊枝はどきっと胸をつかれた。姑のそんな姿勢はかつてないことだった。
「気づかれたのではないか」とおもった。しかし姑はしずかな声で云った。
「これは唐チサですね」
「・・・はい」
「これは不断草ともいうそうで、わたしのなによりの好物ですよ、不断草とはよい名ではありませんか。断つときなし、いつでもあるというのですね、不断草・・・ずいぶん久方ぶりでした」
「お気に召しましてうれしゅう存じます」菊枝はほっと息をつきながら云った。

我が家の不断草は雪の中、雪が融けると2年目の新しい葉が伸び始める。
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山登りの定年

2017年01月23日 | 日記


山友会の新年会、天童温泉滝の湯で。参加者25名、ここ10年以来一番多い参加者であった。今年は年初の計画が大雪で中止となったため、昨年の暮からもう一月以上山から遠ざかり、初顔合わせが新年会ということになった。冬は避けて春から登り始めるという人を含めて、入山が待ち遠しいという、声がしきりだった。宴会を締めくくったのは、「山男」の大合唱で、今週の週末から始まるスケジュールを確認しあった。

作歌の佐多稲子が「尾瀬の水芭蕉」というエッセイを書いている。60歳を過ぎて、坐って原稿ばかり書いている身では、一度見てみたいと思っていたが、無理と諦めていた。それが佐多の友人の息子たちが、母と佐多を尾瀬に連れて行ってくれて尾瀬行きが実現した。

「広い湿原の後方を至仏山が囲って、木の道がどこまでも続いている。途中の足元に気がつくと、道の端に愛らしい山の花を見つける。姫石楠花、二輪草、綿すげ、などと青年たちが教えてくれたが、もっとたくさん聞いたのに覚えているのが少ない。やはり歩くことに気を取られていたのであろう。前方から来る人も多く、行き会うとどっちかが木の道に止まってゆずりあった。」

やはり、足も強くない佐多が、尾瀬を7時間歩けたことに自身で驚き感動もしている。宴会でいつまで山に行けるだろうか、ということが話題にのぼった。結論ははなはだ単純だ。「行けるときに行かなくては」ということ。もう高齢の人は私を含めて多く、自分の体力の見極めが大事になる。佐多稲子のエッセイを読みながら、人と山とのつながりの関係が微妙であることに気付いた。朝風呂に行くと、外はしんしんと雪が降り、10センチほど積雪になっていた。今月を越せば節分、山の季節も近づいてくる。
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藤沢周平の句

2017年01月22日 | 読書


図書館から『藤沢周平句集』を借りてきた。奥書きを見ると平成11年の初版であるからそれほど古いものではない。しかし収めてある藤沢の句は昭和28、9年の句である。それは、藤沢周平がこの頃に句会に入り、1年半位句誌に投稿していたが、その後句作から遠ざかったという事情による。藤沢は昭和26年に教職についていたが、学校の集団検診で結核感染が発覚、休職して療養するも、なかなか完治せず、知人の勧めで東京の北多摩にある篠田病院に入院して手術を受けた。そこで、入院仲間がやっていた句会「のびどめ」に入会、初めて句づくりに励み、句誌『海坂』に投稿するようになった。因みに藤沢は時代小説で海坂藩を舞台にしたものを書いたが、この名称はこの句誌からいわば無断で借用したものである。

藤沢は講演などで地方に出かけ、求められて書く色紙にいつも決まったように書く句がある。

軒を出て犬寒月に照らされる 周平

この句は、投稿した句誌『海坂』の選者百合山羽功の眼鏡にかない褒められたものだ。藤沢には学生のころ詩作に励んだことがあるが、俳句はこのとき初めてであった。闘病で時間があったこともあり、現代俳句の切れのよさに目を開かれて句作に没頭した。病が癒えたが、教職への復帰は叶わず、東京で業界新聞の記者の生活に入る。あまりの環境の変化に句作から遠ざかることになるが、俳句から離れたわけではない。句作することによって句への理解力も増し、俳人の句集に親しみつつ、評論を読むようになっていった。

寒鴉鳴きやめば四方の雪の音 周平

この本の序にあたる文章のなかで好きになった俳人に、秋桜子、素十、誓子、悌二朗の名をあげ、なかでも篠田悌二朗の自然詠の句に執する、と語っている。藤沢の身体に流れている血には、若き日を育んだ自然の力が融け込んでいる。この作家がいつまでも故郷に目をそそぎ続けた理由でもある。藤沢にはもうひとつ唐の詩人、耿湋の「秋日」がある。

返照閭巷に入る、
憂い来って誰と共にか語らん。
古道人の行くこと少れに
秋風禾黍を動かす

この詩もまた藤沢好みの自然詠ということになろう。俳句と関わって、藤沢の文章には、簡潔で奥深い自然描写が随所に見られる。



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室内の花

2017年01月21日 | 日記


この時期、室内を彩っていた花たちは今はない。シンビジュームも、カトレアもオンシジュームを、よくもこれほどと鉢いっぱいに花を咲かせて、その後は休止、もしくは枯れて行った。淋しい限りだが、花屋に行って買う気もなかなか起きない。今あるのは、誰かに貰ったクンシランのみである。昨年の暮から、花を開いているが、室温のせいか花茎が縮こまって伸びない。葉は大きく育って、年に2回ほど花が咲くが、このッ時期の花には、本来の美しさがない。いま、サボテンの鉢も室内に取り入れているが、花はもう少し先のようだ。それだけに、花をつけているクンシランは貴重な存在である。

君子蘭鉢を抱える力なし 阿部みどり女

昨日、大寒を迎えた。気温が少し緩んでいたか、この週末にはまた荒れ模様気候になるらしい。寒い、寒いと言っているうちに節分がくる。先週の山行は、荒れて中止になったが、月末からまた雪山トレッキングが始まる。新年の新しい山の季節を迎える前に、山の会の新年会が明日、詩吟の新宴会が29日と、今年もそろそろ新年会の打ち止めになる。
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