常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ひこばえ

2017年10月25日 | 日記


ひこばえは孫生という漢字をあて、伐り倒した木の根から出る芽のことである。稲の刈ったあとに出る稲をひこばえと言うこともあるが、本来稲孫と表記しひつじと呼ばれ、二番穂とも呼ばれる。春には田に鋤きこまれて、肥料にされるが、気温の高い沖縄や東南アジアでは、この稲孫が伸びて、穂に実が入る。いわゆる二毛作で、一度植えた苗から2回収穫できる地域もある。

稲作がどのように日本列島に広まっていったか。興味深い問題である。一般に稲作をもって弥生時代、それ以前を縄文とするが、稲作は縄文文化をただちに取り換えたわけではない。焼き畑や狩猟などの集落に、稲作を始める人が出はじめる。稲作に憬れ、それが新時代を拓くステータスとなっていたと考えられる。新知識を持つ人や取り巻きが手助けをする。焼き畑などは、集落の共有であったが、個人がひらいた田は私有となる。

稲作に伴って大陸からもたらされた外来文化には、鏡や銅剣、銅鉾などの武器や祭器、ガラス製の玉や管玉、墓石、卜骨などがある。また、養蚕、機織り、絹布は、縄文人にとってはすばらしい先端技術とみられたことは間違いない。正月の儀礼は、ハレの食物して里芋だけを使う餅なし正月から里芋と餅を併用ものから、餅だけを使う餅正月へと変遷して行ったことは、稲作が次第に社会の中心となっていく時代の変遷を示すものとして興味ぶかい。
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台風一過

2017年10月24日 | 日記


台風が去ったあとの秋晴れ。久しぶりに気持ちのいい一日であった。陽ざしがポカポカ、きのうまでの鬱陶しい寒空がうそのようである。スマホでパノラマ写真を撮ってみる。1ショットでは表現できない山の様子や、街の広がり見えて感動的ですらある。改めてスマホ写真の実力を、思い知らされた。

秋晴の日記も簡を極めけり 相生垣瓜人
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狸弾三郎

2017年10月24日 | 民話


今日、人と山のかかわりは登山が主流で、山林に分け入り山の幸を求めたりや狩猟を生業にすることは少なくなっている。峠を経て山を越えて隣国へと行き来する道を実際に通ってみると、その道は今では想像できないような自然の姿が色こく見える。先週の山行でも、沢沿いの道わきの岩肌に、人が通れるような横穴を見つけた。熊の住まいか、或いは狩猟にたずさわった人が利用することもあったものであろうかと想像をたくましくした。

佐渡島の伝説に狸弾三郎というのがある。坂口安吾が『新日本風土記』で紹介している。人と山のかかわりが、狸との触れ合い通して暗示されていて興味深い。

弾三郎は金持ちであった。そのために、村人たちは度々弾三郎から金を借りた。借用の金額と返済の期限を書いた証文を、穴の口に置いてくる。翌日、あらためてそこへ行くと、穴の口に証文の代わりに金が置いてあった。ところが、村人のなかに約束の期日が来ても返さないものが増えきた。弾三郎は、金を貸さなくなった。だが、その後も物品だけは貸してくれた。婚礼などで、膳や椀などが不足すると、村人は弾三郎のもとへ駆けつけ、入用の品と返済日を証文に書いて穴の前に置いてくると、翌日にはそれらを取り揃えて穴の前に置いてあった。しかし、これも返済しない者が増えていったために、弾三郎は人間を信用しなくなり、交渉は絶えてしまった。

しばらく後になって、山から急病人が出たと医師を迎えに来たものがあった。医師が乞われるままに出向いて病人を診察し、薬を与えて帰ってきた。後日、全快した病人が大金を持参して医師のもとを訪ねてきた。名前を聞くと弾三郎であった。狸から謝礼を受けることはできないと断ると、その日は悄然として帰って行った。日を改めて、再び医師のもとへ弾三郎が来て、短刀一振りをさし出し、「謝礼を受けてもらえないのは苦しい。これは貞宗のうった名刀だから、これで私の感謝の思いを果たさせてほしい」と言い、返事も聞かずに逃げるように帰って行った。

人間が借りたものを返さずに感謝の念を失しているのに対し、狸がその思いを果たしているという民話は、人間もこうあらねばならないという教えの意味もあったであろう。話の終りで、この医師は狸の置いて行った刀を、無銘ではあったが、家宝にしたとなっている。

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スマホ写真

2017年10月23日 | 日記


先日の山行でスマホ写真を撮った。帰宅して、パソコンに取り込んで見たが、無残な手ぶれ。あれほどきれいな紅葉が見る影もない。何とかラインにアップできる写真にならないか、ユーチュブで、撮影の仕方を見る。今日、新知識を三つ得た。一つは、絶対に手ぶれしない景色の取り方はパノラマモード撮ること。実際の撮ってみると、なるほどと得心が行く。ベランダからの風景が、大きな画面に全く手ぶれのあとのない、きれいな写真が撮れた。

二つ目はピント合わせ。ピントを合わせたたい被写体をタッチするとそこにピントが合う。これは知っていたが、長押しするとそのピントがロックされる。遠目にピントがロックされれば、右や左に振っても、遠目にピントが合う。さらに、その下の部分に太陽マークが出て、左へスライドすると暗く、右へスライドすると明るい画面と自由に露出が変えられる。こんな機能も使わなければいい写真など撮れるわけがない。せっかくの機能を使わずに、宝の持ち腐れというところだろう。

三つめはズームを使わないこと。デジカメを使っているついズームを使いたくなる。これを使えばちょっとだけの手ぶれにも敏感で、呆けた写真になりやすい。山行の際の撮影に失敗したのはこれであることに気づいた。そのほかにも、スマホをひらいて見ると、いい写真を撮るための機能が、たくさん搭載されている。デジカメを撮りなれるように、スマホも使いなれないとダメなのだ。

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加無山

2017年10月22日 | 登山


雨模様が続いて、今年はもう紅葉は見られないかと思っていたが、加無山は拾いもののような山行になった。真室川町の旧大滝小学校わきの林道を、加無山登山口に入る。林道はトラックの轍ができて、やっとの思いで車を走らせる。登山口の駐車場に2台の車が停車していた。いずれも庄内ナンバー、この山は庄内地方や秋田から来る方がよほど近い。登山口で心配していた雨も上がり、スパッツを着用して山道に入る。

加無山は、標高997m。1000mに満たない山であるが、荒々しいスラブの壁、深い沢、所々に崩れた斜面にトラバースの道を切った危険個所もある。いわば、手つかず自然のままの景観が残された、険しい山塊と言える。本日の山行メンバー4名、内女性2名。



川を渡って先ず目につくのが、カツラやブナの巨木。加無沢出合を過ぎて、加無沢沿いの登山道を行くと、千畳岩が見え、その岩に張り付くように生える木々の紅葉が見事だ。ゆっくりと紅葉を目に焼き付け、登山の楽しさに浸る。渓流を2,3度渡って。ブナの広場に出る。このあたりには、秋の味覚のキノコが出始めていた。サワモダシ、ブナシメジ、ブナカノカ、ナメコがたくさん出ているのに驚く。そういえば、もう20年も前にこの山に初めて登り、倒木だけでなく、そのまわりの土からもサワモダシが取りきれないほどあって、仲間と大喜びをしたことを思いだした。この付近の標高が500m、4㌔ほど歩いても高度は稼がれていない。



雨に濡れたトラバースの道で意外に時間を取られる。3時間半ほどかかった、女加無山の裾で昼食。ここまでで、先へは行かず下山することを決断。出ていたキノコ狩りに目的を変える。台風前の奇跡的な雨の晴れ間、見事な紅葉、そして今秋初めてのキノコの収穫と、思い残すことのない山行になった。真室川の梅里苑の温泉に浸かって疲れを取り、尾花沢車屋で味噌ラーメン。歩行距離9・2㌔、歩数18000歩。下山3時45分。
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