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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

イシグロカズオ『日の名残り』

2017年10月20日 | 読書


今年のノーベル文学賞はイシグロカズオが受賞した。ロンドンに住む英国籍人だが、日本人の父母を持ち、長崎生まれの日系人である。昨年だが、英語の教師をしていた友人から、イシグロの小説を奨められ、新聞の切り抜きまで送って貰っていたのが、つい読まずにそのままになっていた。そんなことがあって、友人の勧めを無視する結果となり、その作家がノーベル賞を受賞したので、二重の驚きになった。

『日の名残り』をネットの電子書籍を購入して読むことになった。一晩で読み切ってしまうような読書方法をさけ、一日に2時間ほど、コボにゆっくりタッチしながらじっくりと読んだ。イギリスには貴族の住むお城のような大きな屋敷がある。いわゆる名家だ。この屋敷に雇われ、屋敷の管理全般にあたるのが執事である。小説の主人公スティーブンスは、ダーリントン卿に仕え、その屋敷ダーリントンホールを取り仕切った執事である。その下で、多くの女中たちを使いながら女中頭ミス・ケントンが細かな家事をこなしていく。小説は、主人公がダーリントン卿に仕えた時代の回想によって展開されていく。現在形では、同じ屋敷の新しいオーナー、ファラディの執事になったスティーブンスが、かって女中頭の住むイギリス西岸の町へ、旅をして再会を果たすが、その旅のなかで初めて見るイギリスの景観や人々との感動的な出会いが描かれるが、その旅のなかでも、ダーリントン卿時代の回想に大きな部分が割かれる。

その回想のなかで語られるのは、執事と女中頭の制約のなかでのロマンスである。もし私がイギリスの歴史や文化、そのなかで大きな屋敷を取り仕切っている執事たちの社会的な地位に知識があるならば、この小説をより深い感動を持って読むことが出来たであろう。執事の要件として語られるのは、品格というキーワードである。執事が主人に仕えるということは、主人の意にかなった家事を進めなければならない。ダーリントン卿は、ドイツとの融和を進める立場で動いていたが、屋敷にいる二人のユダヤ人の女中を解雇することを決意し、スティーブンスにその実行を命じる。彼はそのことをミス・ケントンに伝え、二人に話をするから連れてくるように言う。これに猛反発したミス・ケントンは、二人が有能で解雇などは受け入れられない、もし、それを実行すなら、自分はこの屋敷を去る、と言い張る。

立場の違いをこえて、二人の心には、心に共鳴する意識があった。決して言葉には表すことのない、淡いロマンスである。仕事に没頭して、私情を後回しにばかりする執事に、諦めの心を持ってミス・ケントンは屋敷を去る。スティーブンスの旅は、そのロマンスの記憶を確認する旅であった。別れ際に、本人の言葉でそのことは確認できた。だが、もう時間を取り戻すことはできない。二日後偶然に出会った元執事だという男から、後ばかり振り向いているから気が滅入る、前を見て生きよ、と教えられる。彼の言った言葉こそ、この小説から受け取った最大の贈り物である。

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方がいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。」

夕方が、人生の晩年を指しているのは、言わずもがなである。

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2017年10月19日 | 


寒くなって元気づくのは菊の花だ。朝の冷たい露に頭をもたげると、少ない日差しを愛おしむように花を咲かせる。多くの種類の植物が凋むのを目のあたりにして、「10月の園芸家」は、菊を持ち上げる。

「まだキクは降参しない。きゃしゃで、ほんのりして、まるで白とピンクの泡でできているようだ。舞踏服をつけた少女のように寒がっている。日照がもうわずかになったからかい?うっとうしい霧が息苦しくなったからかい?みぞれまじりの冷たい雨が、しのび足で通り過ぎていくからかい?気にすんじゃない!おまえは咲いていればいいのだ。落ち目になって弱音をはくのは、人間だけだ。キクはへこたれない。」

キクはへこたれないだけではない。その香りは、古来、人間の病気を除き、元気づける役割を果たしてきた。秋の重陽の節句には、酒に菊の花びらを浮かべて飲むのが、邪気を払い、幸運をもたすものと信じられてきた。

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秋日和

2017年10月18日 | 日記


小春日和と言っていいのか、気持ちのよい秋晴れになった。但し、明日からはぐずついた天気になるらしい。週末の天気が気になる。千歳山に朝の散歩。歩き方の練習もだいぶ身についてきた。秋の空はあくまで青く、目にしみいるようだ。秋の空といえば、変わりやすいことの代名詞になっている。「女心と秋の空」と言われているように、午前中いい日和でも、午後にはパラパラと時雨になる。ところが、その後になってまた陽が戻って来ることがある。「きつねのよめいり日照り雨」という表現もある。

秋晴れやこころもはづむ朝のうち 篠田悌二郎

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ザクロ

2017年10月17日 | 日記


秋の日は、植物をいろいろに色づかせる。野ブドウ、ザクロなどの色味は神秘的ですらある。山では錦秋の紅葉、それらは冬に向かって、最後の輝きを見せる。果実として食用にされるが、その色を愛でて鑑賞用の庭木も多い。この写真もまたスマホである。色の再現は、素人目にも充分であるように思える。静物画のスケッチにも、よい素材であろう。

美しき柘榴に月日ありにけり 瀧井孝作



野ブドウの写真を撮っていて、きれいな色の実が宝石箱をひっくり返したように生っているが、よく見ると虫の穴があっていびつな実が多い。虫の入らないきれいな実はないか探してもなかなかみつからない。調べてみると、その筈で、虫が入っていない方が珍しいらしい。虫は
ブドウタマバエで、実を割ってみると、糞のようなものを残しているらしい。

野葡萄のむらさきあはきおもひかな 鳥谷 征良
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なごりの薔薇

2017年10月16日 | 日記


会う人ごとに、「寒いね」が挨拶がわりである。冬を思わせる寒さだ。車は暖房、家のなかでも暖房が欲しい気がする。咲き残りの薔薇がびっくりするほど美しい。スマホで写真をきれいに撮る方法を勉強中。いままで撮ったものが、ウソのようにきれいに撮れた。小春のような、秋晴れの日が待ち遠しい。

薔薇よりも淋しき色にマッチの焔 金子 兜太
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