常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

悲しい秋

2018年10月12日 | 日記

ひと雨ごとに秋が深まる。紅葉も次第に高山か

ら里山へと下りてきている。明日は、移動性の

高気圧に覆われて、行楽日よりとなる。しばら

くぶりに山行、飯豊の天狗山。

散歩道には、もう紅葉した桜の葉が散り敷いて

いる。こんな光景を見るたび、秋は淋しい気持

ちを抱かせる。故郷を飛び出すように離れ、一

縷の希望を抱いて上京した石川啄木には、秋は

ことさら悲しい季節であった。

かなしきは

秋風ぞかし

稀にのみ湧きし涙の繁に流るる  啄木

上京して、金田一京助に下宿を世話してもらった

ものの、啄木のポケットには、5銭銅貨が4枚とい

う悲惨な状況であった。それだけに寒さに向かう

秋は啄木を悲しませた。自分が書いた原稿を出版

社へ持ち込み、それで大金を得て家族を呼び寄せ

る、それが啄木が抱いた一縷の希望であった。し

かし、そのような希望がかなわぬまま秋が更けて

いった。親交のあった北原白秋が雑誌「心の花」

に詩を寄せた。「見るとなく涙ながれぬ。かの小

鳥 在ればまた来て、茨のなかの紅き実を啄み去

るを」。白秋の詩でも秋はものがなしく、憔悴す

る啄木の心を一層沈ませた。

コメント
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