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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

柿紅葉

2018年10月17日 | 日記

柿の葉が色づいてきた。どうして秋は、神秘

的な色を演出できるのだろうか。柿紅葉とい

う言葉も、粋な響きがある。これくらいに色

づくと、少し風が吹くとはらりと落ちる。柿

の木を見ると、すっかり葉を落とし、柿の実

だけが秋空に輝いているのも、秋の風物詩で

ある。この頃では、柿の実をもぐ手がなくな

ったためか、もがずにそのまま木に置かれる

こともよくあることだ。

知人が、「干し柿を作るなら、紅柿を上げる」

と声掛けしてくれた。上山で栽培されている

紅柿は、干し柿に向いている。上山特産の干し

柿は、この紅柿で作られ高級品で知られる。も

う干し柿を作る季節がやってきた。

この時期、里山もキノコの季節だが、最近のニ

ュースで、キノコ採りに山に入った高齢者の死

亡事故が多発している。特に長野県で多い。山

へ入るのも、自分の足の衰えを計算にいれなけ

ればならないということか。

柿紅葉地に敷き天に柿赤し 松本たかし

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青トマト

2018年10月16日 | 農作業

朝夕の気温が下がって、トマトが赤く熟さな

くなった。10本ほどあるトマトの木を倒し、

まだ生っていた青トマトを収穫してきた。ピ

クルスにするためだ。しばらく塩水に浸し、

半分に切って容器に入れて簡単酢に漬け込む、

実に簡単に青トマトのピクルスが出来上がる。

カレーのトッピングによし、野菜サラダのつ

け合わせに重宝する。

この季節になって、畑を見ると実に忸怩たる

思いだ。春先は今年こそ、納得できる野菜づ

くりを、決意してはじめた筈だが、秋を迎え

て秋野菜の種も蒔けない現実。あきらめて、

春に収穫するえんどう豆や玉ねぎ、五月菜な

どを蒔くしかない。ちょっと畑仕事をすると

たちまち肩や腕が痛くなる。長時間の作業を

続ける根気がなくなっている。もう一度、気

を取り直し、身体づくりから始め直す必要が

ある。

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昭和の思い出

2018年10月15日 | 日記

 秋が深まってきた。桜の木の下には紅葉し

た落ち葉が散り敷いていた。天皇陛下の生

前退位が実現したため、平成最後の秋にな

る。来年5月から新しい年号が始まるが、

平成を回顧する読み物が溢れかえることだ

ろう。

だが我々の年代は、その前に昭和を回顧す

る。私の小学校時代は、朝雪が降ると、登

校する道が雪に埋もれてしまうため、父兄

の家で馬橇を出して、児童の通学路を確保

してくれた。運がよけれれば、馬橇に乗っ

て学校まで送ってもらうことができた。通

学路はほぼ2㌔、子供の足で40分ほどかか

た。雨の日も雪の日、この道を歩いたこ

で丈夫な足が鍛えられてような気がする。

冬の通学はことさら難儀だった。零下20℃

という気温も珍しいことではない。吹雪に

なると前が見えなくなる。粗末な耳あては

冷たい風を防ぎきれずに、凍傷を負うこと

もしばしばであった。日に一度バスが走っ

た。燃料がガソリンでなく、木炭でエンジ

ンを動かしたのでスピードが出なかった。

坂道にかかると、極端にスピードが落ちる。

場合によってはエンストを起こす。坂道で

バスを追いかけて走るのが楽しみだった。 

子供のころ、野に生る実をよく食べた。隣の

家の庭に大きなオンコの樹があった。こちら

では、イチイというが、秋には赤い実をつけ

る。少しエグイが甘いので好んで食べた。実

はこれだけでなく、グミ、グスベリ、野イチ

ゴ、山ブドウ、コクワなどなど、堤防の樹々

の中や草むらに目を凝らして、実が熟するの

を待ちかねた。当時、近所に同じ年ごろの子

どもたちがいなかったので、野イチゴを見つ

けるたくさんの実を一人占めでたらふく食べ

た。下痢をしたこともしばしばであった。

大正を回顧する人もいる。杉浦民平は『なつ

かしい大正』のなかで初めて見た自動車のこ

とを書いている。遊びに夢中だった子どもた

ち、四辻の傍に止った四角いかたち自動車が

「ブーブー」と警笛を鳴らしているのをとり

囲んだ。「中には車にさわってみる勇気ある

子供もいた。運転手が横窓を開いて、「やい、

どいた、どいた。どかぬと轢きつぶしちゃう

ぞ」とどなるまで、だれも動かないで呆然と

車を眺めていた。

さて平成の時代はどんな回顧が行われるので

あろうか。

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天狗山

2018年10月13日 | 登山

神仏の宿る山。いうまでもなく近くで言えば

出羽三山、飯豊山、広く見れば比叡山、高野

山。しかし、さらに身近な里山にも、そうし

た山がある。飯豊町にある天狗岳に登って、

そのことを教えられた。この山の登り口であ

る一の鳥居は、小白川集落にある。ここから

登山口のある二の鳥居までは、林道を5キロ

ある。沢に面した路肩に一部危険個所がある

ので注意が必要だ。

登山口に到着したのが、8時38分。準備運動

をしてすぐに登山道を歩く。町の環境協会か

ら貰った案内図には参道と記してある。小さ

な橋を渡ると道は沢筋の細い道になる。崩れ

た道は迂回する道になっており、簡易の梯子

がいくつも掛けられてある。参道との記述に

納得がいく。滑石に沢の水が流れているが、

滑らないように所々に切り込みがつけられて

いる。わずかな水だが、集落の氏子たちはや

や困難な道を登って、護摩堂や山の神への参

拝をすることに意義を見つけたのかも知れな

い。

滑沢の先の山道を少しそれた沢筋に、三ケ月

不動の滝がある。天狗の住む山と里の人に恐

れられた山であるが、修験の山として山伏の

修行を積む道場であったことも納得が行く。

急峻な岩場と瀧、加えて要所要所に置かれた

多くの神を祀る石像。この山を登拝したのは

里の五穀豊穣、家内安全が切実な願いであっ

たであろう。

やがて着いたのは、護摩堂。いまは、賽銭を受

け、近くの水場で喉を潤しながらひと休みする

場所となっているが、かっては修験道の重要な

役割を担っていた。修験道では地獄から天に至

る修行で柴灯護摩と言われる、夜の火の儀礼が

行われた。護摩壇で焚かれる火は、修験者の葬

儀とみなされ、その死の苦難の後に再生する。

この修行が行われた護摩堂を礼拝することによ

って里の集落の禍を除け、五穀豊穣、家内安全

が得られる、という信仰がいまなお行われてい

る。

山頂の山の神に至るまで、道中に祀られて

いる神仏の多さに驚く。勢至菩薩、大黒天、

虚空蔵尊、稲荷明神、などの苔むした石碑。

さらに文殊菩薩に庚申さま。ころほどの神

仏に頼む願いはどんなものか、少し心配に

なる。青苧権現と姥神の石碑を過ぎると、

急峻な鎖場に着くここを登りきると、天狗

山の山頂。その奥にさらにひと山、奥の院

がある。登山口から休憩を入れて二時間足

らず参加者全員が無事登頂。山頂で秋晴れ

のもと弁当の時間。参加者11名。内女性8

名。

 

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悲しい秋

2018年10月12日 | 日記

ひと雨ごとに秋が深まる。紅葉も次第に高山か

ら里山へと下りてきている。明日は、移動性の

高気圧に覆われて、行楽日よりとなる。しばら

くぶりに山行、飯豊の天狗山。

散歩道には、もう紅葉した桜の葉が散り敷いて

いる。こんな光景を見るたび、秋は淋しい気持

ちを抱かせる。故郷を飛び出すように離れ、一

縷の希望を抱いて上京した石川啄木には、秋は

ことさら悲しい季節であった。

かなしきは

秋風ぞかし

稀にのみ湧きし涙の繁に流るる  啄木

上京して、金田一京助に下宿を世話してもらった

ものの、啄木のポケットには、5銭銅貨が4枚とい

う悲惨な状況であった。それだけに寒さに向かう

秋は啄木を悲しませた。自分が書いた原稿を出版

社へ持ち込み、それで大金を得て家族を呼び寄せ

る、それが啄木が抱いた一縷の希望であった。し

かし、そのような希望がかなわぬまま秋が更けて

いった。親交のあった北原白秋が雑誌「心の花」

に詩を寄せた。「見るとなく涙ながれぬ。かの小

鳥 在ればまた来て、茨のなかの紅き実を啄み去

るを」。白秋の詩でも秋はものがなしく、憔悴す

る啄木の心を一層沈ませた。

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