ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

本番は来週

2009年11月29日 21時06分00秒 | 音楽・アート
昨日は待ちに待った、佐渡裕さんによるレッスン。
気合を入れて45分前には到着して、スタンバイ。
レッスンが始まると、佐渡さんの腕のひと振り、
語る言葉のひとつひとつに、のまれるように、
響きに生命が吹き込まれ、表情が生まれる。
今まで見えなかったドラマが見えてきて、
作り出そうとする、ひとつの世界が広がり始める。

「音楽はその瞬間に生まれて、消えていくもの。
だから切なく、美しく、愛おしい。」
「日常生活で、大声出すなんてことはないから、
こうして大声で歌うのは、自分を解放すること。
音楽は、自然で、野性的で、肉体的なもの。」
佐渡さんの思いを少しでも理解し、心に刻もうと、
懸命に耳を傾け、歌い、あっという間の90分。



この週末は、もっと全体像を理解しなければと、
不協和音の「恐怖のファンファーレ」で始まる第四楽章を
何度も何度も聴いて、わたしなりに勉強しました。
これまでの3つの楽章の主題が次々と現れては、
それを否定してゆく、重低音のチェロとコントラバス。
「いや違う、この調べではない。
もっと心地よい、希望の旋律を奏でようではないか。」

そしてやっと探り当てた、喜びの歌の主題。
初めは静かに、低くつぶやくように奏でられ、
次第に力強さと確信を増して登場する、大合唱。
嵐や苦悩を乗り越え、神への問いかけの末たどり着いた、
それは民衆による、愛と歓喜の高らかな宣言。
「神のものでは、みながひとつの存在」
「皆が互いに抱き合い、ひとつになって初めて得られる
神の祝福に満ちた歓喜の道を、我々は選ぶのだ」と。

ただ自分の旋律を歌うのが精一杯だった、去年。
今年も、「上手く歌う」ことは出来なくても
フランス革命を歴史的背景に持つ、
この、シラーとベートーヴェンの壮大な愛の理念を、
少しでも心に描き、味わいながら歌えますように。

コメント
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