先週末は父の1周忌の法要でした。
今回も「おけどくさん」とか
(仏前のお供えのお餅のこと)
「お斎(とき)」(法要後の食事)とか
フランス語より難しい専門用語の数々に
またしても右往左往の役立たずだったけど
廊下と台所を主な守備範囲として、
どうにかお茶出し係だけは出来たかも。
不思議なことに、私にとっては
父は生前よりも今の方が身近な存在。
目には見えないけど、いつも傍にいて
なんだかんだと話しかけているから。
父は父で、私の夢の中に出てきては、
時にはダメ出しまでしてくれるから。
なぜかいつも若いころの姿で。
父を失った後の喪の作業を通じて
父との間に新たな関係を築けたみたい。
草に、花に、風に、雲に、道に、
朝に、夕立に、自転車に、車の音に、
すべてのものに「父」を感じながら
父亡き時間を生きていくことには
淋しさだけでは終わらないものが
何かあるような気がしています。
今回も「おけどくさん」とか
(仏前のお供えのお餅のこと)
「お斎(とき)」(法要後の食事)とか
フランス語より難しい専門用語の数々に
またしても右往左往の役立たずだったけど
廊下と台所を主な守備範囲として、
どうにかお茶出し係だけは出来たかも。
不思議なことに、私にとっては
父は生前よりも今の方が身近な存在。
目には見えないけど、いつも傍にいて
なんだかんだと話しかけているから。
父は父で、私の夢の中に出てきては、
時にはダメ出しまでしてくれるから。
なぜかいつも若いころの姿で。
父を失った後の喪の作業を通じて
父との間に新たな関係を築けたみたい。
草に、花に、風に、雲に、道に、
朝に、夕立に、自転車に、車の音に、
すべてのものに「父」を感じながら
父亡き時間を生きていくことには
淋しさだけでは終わらないものが
何かあるような気がしています。