節分の2月4日。ミモロは、平安神宮の北側にある「聖護院」へと向かいます。

この日は、珍しい山伏の祭事が行われるのです。京都ってホント、いろいろありますね。
さて「聖護院」は、修験道、山伏の総本山。その歴史は、寛治4年(1090)、白河上皇が、熊野詣においでになった折、先達をつとめた増誉大僧正の功績により、聖護院というお寺を賜ったのが始まりだそう。

大きな伽藍をもつ寺院で、明治まで、鴨川にかけてうっそうとした「聖護院の森」が広がっていたとか。
その森は、紅葉が美しく、錦林と呼ばれ、その名は、今も地名として残っています。
森の周囲には、「聖護院村」があり、そこで生まれたのが、京都のおみやげで有名な「聖護院八つ橋」、京野菜のひとつ「聖護院大根」です。
境内に入ると、狩野派による見事な襖絵のある宸殿。御所から約350年前の後水尾天皇御側室の書院を移築した、重要文化財の書院などが。

普段は、予約しないと拝見できないのですが、節分の3日間は、一般公開され、申込みなしで拝見できます。
お庭もりっぱ。

ミモロは、公開されているお寺の中をトコトコと見て回ります。

ここは、山伏の総本山。
2月4日の節分には、全国の山伏さんが大集合。「厄払開運採燈大護摩供」が行われます。
境内には、その様子を拝見しようと、大勢の人が。ミモロも、興味津々で始まるのを待っています。

やがて、門から、ほら貝を響かせながら山伏の一行が到着。

「ねぇ、山伏ってなあに?」とミモロ。
よく時代劇に怪しい人物として登場する山伏ですが、山の中で仏道修行をする人のこと。
山伏の装束は、鈴懸という法衣と肩から掛ける結袈裟など。その姿を見ると、その人が、何宗の人で、どの程度修業しているかなど一目瞭然なのだそう。
さて、いよいよ「厄払開運採燈大護摩供」が始まりました。
まずは、先に到着した一行が、境内におさまると、この供養に参加したいと訪れた別の山伏一行との山伏問答が始まります。この行事に参加する山伏は、約100人。ずらりと並ぶ山伏の姿は、壮観です。

「山伏とはー」「修業とは、いかにー」とか装束の説明を求めるもの。それにスムーズに答えられると、行事への参加が許されます。
「禅問答みたいな迫力。でも、一般の人に山伏ってどういうものか、よくわかる説明だね」とミモロ。
供養を始める前に、まずは、その場を清めることを。中央には、杉の葉で覆われた護摩壇が。

弓をもった山伏が、東西南北と中央に向かい、矢を放ち、場を清めます。

この儀式が終わると、いよいよ護摩壇に火がともされます。




パチパチと杉の葉が燃える音と、モクモクと白い煙が立ち上ります。
「わーまるで白い龍が天に昇ってゆくみたい…」とその煙を見上げるミモロです。
風向きが変わり、突然、煙がミモロの方へなびきました。
ゲホゲホゲホ…「わー目が開けられないー」と。
「でも、この煙を浴びれば、厄祓いになるんでしょ!」そういいながら、涙目になっているミモロです。
煙と共に舞い上がる灰が、頭にも降ってきました。また風向きがかわり、煙は、別の方向へ。
(その日は、西からの風が強く、東側にいる人たちは大変そうでした)
火力が強くなったとこで、護摩木を中に投げ込み、それが終わると、
信者さんたちにお渡しするお札などを、立ち上る煙で清めます。

ほら貝の音が、響き、約1時間ほどのご供養を締めくくります。

「あーもう終わっちゃうんだー」と。

やがて山伏たちは、退場。境内では、護摩壇の消火活動が始まりました。
(現在、京都の寺社は、特別な行事を除き、敷地内は、もちろん火気厳禁。この日も、境内のあちこちに水の入った袋を背負った消防隊の人たちが待機し、火に気を配る姿が。最近は、どの寺社もスプリンクラーなど消火設備を備えていますが、ともかく昔は、火事が多く、京都のほとんどの寺社が、何度か焼失を経験。京都は、地震や台風などの自然災害の被害は少ないのですが、火事が一番、文化財にとっては脅威です。)
「ところで、だれでも山伏になれるの?」とミモロ。
聖護院の山伏になるには、聖護院の先達から辞令をいただかなくてはなりません。
もちろんさまざまな修業や知識の習得が必要です。
山伏を志す方は、ぜひ聖護院にお問い合わせを。
*「聖護院」に関する詳しい情報は、ホームページから。山伏になりたい方も、こちらへ。

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