艶やかな紅しだれや、疎水沿いを染めるソメイヨシノなどの華やかな春爛漫の京都。
ミモロは、京都岡崎エリアで、まさに桜づくめの日々を過ごしています。そんな折、ふと素朴な春にも出会いたいと、思ったミモロは、京都から、ちょっと電車に乗って、奈良、三輪大社へと向かいました。

「京都に住んでいると、奈良や滋賀、福井って、気軽に行けるのー」と、時々、出掛けるミモロです。
ミモロにとって最強のパワースポットである「大神神社」に参拝の後、そのすぐそばを通過している「山の辺の道」をちょっとだけ歩くことに。


畑の間を縫うように続く細道を、トコトコと進みます。
「あ、スミレ…」

道端に、小さなスミレの花を見つけたミモロ。この調子で行くと、進むのにかなり時間がかかりそう…。
「あ、ここにも桜が咲いてる・・・」

山の間の開けた場所に桜の花を見つけました。
さっそく木登りを

しばらく桜の木で遊んだ後、再びトコトコと…。
「わー白い椿、キレイ!」

「コデマリも花盛りだよー」

10メートルほど進むだけで、ミモロの前には、次々に春の景色が現れて、そのたびに、足を止めてしまいます。
「だって、今しか、この春の景色は、楽しめないんだよー。桜だけじゃなくて、他のお花もちゃんと咲いたのを褒めてあげなきゃ…」と。確かに、そうかも…。つい桜ばかりに目がいってしまう今。その華やかな花のそばで、健気に可憐な花を咲かせている草花にも、もっと関心をもたないと、もったいないかもしれません。
そういいながら、「山の辺の道」を歩いていると、道の傍らに小さなスタンド。

「なんだろ?」と、棚の上を見ると、ビニール袋が。

中を覗くと…「わーツクシ!これ食べるんだよねー」

ご近所の農家の方が、摘んだツクシが、いっぱい。他にも菜の花や野菜の苗なども並んでいます。「どれでも100円だってー」と、お値段もお手軽。「買って行こうよー」というミモロ。まだ歩かなくちゃいけないから…今度ね。


渋々諦めたミモロは、さらに古道を進みます。途中、出会った看板「八大竜王弁財天大神 龍神神社」と。

「山の辺の道」から少し脇道に入ると、川を堰き止めた貯水池のような大きな池が、山の中に現れました。

さらに池の周囲に続く道を進むと、もうひとつ奥に池が。その水際に赤い鳥居が立っています。

「あそこが神社かな?なんか本当に龍が住んでいるみたいな池だねー」予想もしなかった景色に、ミモロをちょっと怖がっているよう。「だってーなんかいそうなんだもの…」と。だれもいない場所だったので、早々に元の道に逆戻り。

再び「山の辺の道」を歩きます。
「あ!ツクシ…」

「タンポポも見ーつけたー」

また、ミモロの植物観察が始まります。小さなミモロの視線は、地面に近いせいか、ホントによくいろいろな小さなものを見つけます。ミモロが、何か見つけて立ち止まる横を、1眼レフのりっぱなカメラを持ったハイカーの人たちが、足早に過ぎて行きます。
「小さな春ー小さな春ーみーつけたー」と口ずさむミモロ。それ、小さな秋じゃない?
小さな春に出会うミモロは、とてもうれしそう…。
桜の花見と言えば、秀吉の醍醐の花見が有名。奈良時代は、梅の花見が貴族の春の行事だったとか。そして平安時代に桜の花見となったそう。春を象徴する花見。でも、きっと『山の辺の道』を歩いた昔の人たちは、道端の小さな草花に春を感じていたのでは?

石畳の道や土の道が、集落、田畑、山を縫うように続く「山の辺の道」。
大和古道のひとつで、全長約35キロ。現在、古道の面影が残るのは、天理の石上神宮から、櫻井の大神神社付近までの約15キロで、ハイキングコースとして親しまれています。


「いろんな人たちが歩いたんだよねー」。柿本人麻呂をはじめ、多くの万葉の人々が歩いた道です。

奈良盆地を望む景色を眺めながら、のんびり…。
「こういう春もいいよねー」と、のどかな春を満喫するミモロでした。


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