ミモロは、「NPO法人 京都観光・文化を考える会・都草」のメンバーの方が主催する歴史探訪会に参加しました。
京都消防局の「文化財防災マイスター」の講習以来、いっそう文化財に興味をいだいているようです。
今回は、「聖護院」と京都大学の校内にある『尊攘堂』を主に見学する探訪会です。会員の方の詳しい説明があるので、ただ見学するより、とても楽しいものなのです。
今日は、まず「尊攘堂」のお話しを…
京都大学の時計台があるキャンパスの西にある洋館。それが「尊攘堂」です。


明治36年(1903)に建てられたレンガ造りの寄棟屋根の平屋で、窓やポーチ、小屋根など、洋風の趣を漂わす擬洋風建築と呼ばれるもの。「瓦屋根の感じは、日本の建物って感じだけど、窓は、洋風…」

この「尊攘堂」は、その名からもわかるように、尊王攘夷運動で、倒れた志士の肖像や遺品などを祀り、保存するために、明治20年(1887)に高倉通錦小路に創設されたそう。創始者は、吉田松陰の松下村塾に学んだ品川弥二郎です。
長州の足軽の子に生まれ、15歳で松下村塾に入り、吉田松陰を尊敬してやまない若き弥二郎の生涯は、なかなかドラマチック。安政の大獄で、松陰が処刑されると、高杉晋作らとともに、尊王攘夷運動に加わり、イギリス公使館焼き討ちを実行、蛤御門の変、戊辰戦争にも活躍し、まさに幕末の歴史に身を投じた人物です。
戊辰戦争の折り、錦の御旗を掲げて、江戸に向かう新政府軍が歌ったとも言われる「宮さん宮さん、おんまの前にひらひらするものなんじゃいな…トコトンヤレトンヤレヨ~」という行進曲は、日本初の軍歌で、この作詞者は、弥二郎だといわれています。
明治維新になり、ドイツやイギリスに留学、明治政府のさまざまな要職を歴任し、子爵にも叙せられます。
独協大学の前身の独協学園の創立、運営にも携わったことで知られます。
58歳で、亡くなった品川弥二郎。彼の死後、その所蔵品を京都大学に寄贈することに。これは、かつて松陰が、京都に大学を興したいという思いによるものだそう。それで、京都大学の一角にこの建物ができたのです。設計者は、不明。
平成10年に国の登録有形文化財に登録されました。
「定年前に亡くなったんだ~。でも、いろんなことした人だったんだねー」と、ミモロは、思いました。
現在は、京都大学埋蔵文化財研究センターの資料室になっています。ミモロは、みんなと一緒に中へ。

「なんか大きなものがある…」

「寄贈された幕末の志士たちの遺品などは、図書館に保存されています。それは見ることはできないんですが、ここには、校内で発掘された貴重な品々が展示されているんですよ」とセンターの千葉さん。

窓際には、とても古そうな土器がズラリと並んでいます。


部屋の中ほどには、ガラスの展示ケース。江戸時代の食器。


「わー弥生時代の土器だって…平安時代のもある…」


「これは、平安時代の火舎だって…お香かなにか炊いたのかな・・・」

「わーメンコもあるよ~昔の人の遊び道具?」

京都の歴史は、いろいろな時代の地層にも現れています。

京都大学の構内は、かつて尾張藩邸や土佐藩邸などがあったそう。「きっと掘ると、まだまだいろいろ出てきそう…」
さて、展示物から目を離し、ミモロは、建物の中を見回します。


赤いじゅうたんと緑の椅子…補色関係の色彩が古い雰囲気を感じさせます。

「窓の内側ってこうなってるんだ~」

京都には、明治以降に建てられた洋風の建物もいろいろ。「お寺や神社だけじゃなくて、そういうの見るのも楽しいよね」と、洋館めぐりは、ミモロも大好き。
この「尊攘堂」は、普段は、閉められていますが、予約をすると見学ができます。
見学希望の場合は、「京都大学文化財総合研究センター」075-753-7691に連絡してください。
見学を終えたミモロ。建物の脇に行くと・・・「なんで、ここに倒れてるの?」


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