鴨川にかかる四条大橋と五条大橋の間にある「松原橋」は、かつて五条大橋だった橋。牛若丸と弁慶が出会ったのも、実は、この橋の上と言われます。平安時代、松原橋(旧五条大橋)は、清水寺への参拝の橋。松原通も、東に向かう人々で賑わう街道でした。
その道には、今も、昔の面影を留める店が、点在し、なかなか興味深いところなのです。
鴨川から、松原橋を渡ってすぐにある木造家屋が、和ろうそくの専門店「小島商店」です。



ちょっと薄暗い店内…「ごめんください~」とミモロは、恐る恐る中へ



古めかしいタンスや戸棚…「なんか昔にもどったみたい…」そんな気分になる店内です。
上を見えあげると、天井は吹き抜けになって、2階には、長持ちが置かれています。


年代ものの木彫りの看板…「なんか博物館に来たみたい…」すべての時が止まったような錯覚に陥ります。
お店の造りも昔のまま。

ここは、なんと寛政元年(1789)創業の和ろうそくの専門店です。屋号は、若狭屋。創業者は、若狭の出身だったとか。
1788年に京都は天明の大火に見舞われ、町の大半を焼失します。このお店は、翌年できたことに。
かつては、町のあちこちにあった和ろうそくの店。明治になり、安価な洋ロウソクの普及と電燈の発達により、その需要は激減します。京都でも、10軒ほどになったそう。
「おじいさんの時代まで、ここで和ろうそくを作っていたんですよ」と。店の一角には、今も、当時の作業場が残っています。



和ろうそくの材料は、ウルシ科のハゼやウルシの実から採取した木蝋をとかし、和紙などの芯に手で何度もかけるようにしながら、まきつけてゆきます。その材料も今や少なくなり、まさに高級品となっています。

今は、京都の寺院のほとんどが、特別な時以外、日常では洋ロウソクを使っていますが、かつては、京都のいろいろなお寺に、リヤカーで和ろうそくを納品したそう。最近でも、お茶席で、和ろうそくを使うことが多いのだとか。
「あのね~ミモロもおうちに和ろうそくをもってるの。でも、もったいなくて、つけられない…」と。
「じゃ、ちょっとつけてみましょうね~」と、ミモロに、赤い和ろうそくをつけてくださいました。

「和ろうそくは、使い続けるには、芯を切らないといけないんです。こでで、切るんですよ」と。「え~なんかピンセットみたい…」

「でも、この光、すごくすてきだから、もっと見ていたい~」と、しばらく光を見つめつづめるミモロです。
静かな店内には、掛け時計が時を刻んでいました。

「あ、それね、日本初の消火器なんだそうですよ」とお店の方。
側面には、お店の名前が書かれています。「たぶん発売と同時に、火にかかわる店ですから、購入したんだと思います。テレビ番組を制作する方が、見にいらっしゃいました」と。なるほど、ここには、明治時代の貴重な品々が、そのまま置かれています。時代考証などには、役立つ品々がいろいろあるのです。
店内には、和ろうそくのほかに、種類豊富にお線香や洋ロウソク、懐かしいマッチなども置かれています。




袋詰めの小さなロウソク。「これ人気あるんですよ」と。「毎日、違う色のロウソクを仏壇に置いて、お線香つけたら楽しいかも…」と約3センチほどの小さなロウソクです。
「外国の観光客の方には、こんなロウソクも人気です」

本物のように、よくできたロウソクです。
「これ食べたい…ミモロ、ミルキーリュックに入れてるの~」と棚にミルキーのキャンディーを見つけたミモロ。

箱を開けると、なんとそれはお線香。ほかにも、いちごみるくやボンタンアメなどが…。

火をつけると、ほのかに、それぞれの薫りがただようのだそう。「ホント、甘いにおいがする…クンクン」と鼻を近づけるミモロです。
「ねぇ、これ買ってゆこうよ~。ご先祖様にお供えするの、きっとミルキー好きだよ…」。好きなのは、ミモロでしょ!
ふらりと立ち寄った松原通のお店。この通りには、なかなか興味深いお店が多そう。また、リポートします。
*「小島商店」京都市下京区松原通河原町西入ル 075-351-0486 8:00~19:00 日曜休み

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