京都から、憧れの熊野三山詣に出発して3日目。いよいよ最終日。熊野三山詣の締めくくりに訪れたのは、新宮にある「熊野速玉大社」(くまのはやたまたいしゃ)です。



朱塗りの社殿が清々しい境内を、ミモロは、粛々と歩きます。「いよいよここで熊野詣でも締めくくり…」
ここは、速玉大神(イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(イザナミノミコト)の夫婦神をご祭神に祀る縁結びのご利益で知られるところ。境内には、樹齢1000年と言われるご神木のナギの大木が聳えます。


梛(なぎ)の木は、古来から旅の安全をも守る木として信仰されています。ナギの詞は、海の波穏やかな凪(なぎ)にも通じ、特に船の安全な航行を願うのに用いられたそう。
牛頭天王(素戔嗚尊)とゆかりの深い熊野。「京都の八坂神社の御祭神だよね。そういえば、四条通の西にある『元祇園社』て、境内のナギの木で風流傘を飾り、神様を八坂神社に見送ったのが、祇園祭りの始まりだって聞いたことがある。あそこは確か「梛神社」っていうんだよね~。へぇ、熊野と京都って、深い関係があるんだね~」と改めて思うミモロです。
参拝を終えたミモロ。門のところには、名物の「もうで餅」が売られていました。

「あ、牛王神符、ここでも頂かなきゃ~」と、からす文字の熊野特有の神符を社務所で…「これで全部集めちゃった~」と、嬉しそう。



ところで、ミモロ、まだお詣り終わってませんよ。「え?もう三山お詣りしたよ~」と。いいえ、神様が降臨された大きな岩のゴトビキ岩にお詣りしなくちゃ…。
「熊野速玉大社」から車で5分ほど、新宮市の西に聳える権現山に南端にある岩こそが、「日本書紀」にも書かれた、熊野三山の大神さまが降臨された聖地なのです。その岩があるのが、「熊野速玉大社」の摂社「神倉神社」です。実は、現在は、摂社ですが、「速玉大社」は、この神社の新宮に当たります。つまり新宮という名は、この聖なる岩に降臨された神様をお祀りするために造営した新しい御宮がある場所ということから…。
「え~そうなんだ~。じゃ絶対そこにもお詣りしなくちゃ…」と、ミモロは、さっそく「神倉神社」へ。
「ここ?この階段上るの?」




ミモロの目の前に、空まで届くような階段が…。「う~」と思わず唸りたくなる階段です。この階段は、源頼朝が奉納したといわれる538段の鎌倉積みという石段。かなりの急な勾配は、最大45度。しかも、石の大きさが異なり、段差が均一ではありません。「歩きにくいね~。それにすごく急で、怖いよ~。頼朝さんももっと丁寧に石積みさせればいいのに~」と、文句を言いながら、下を見ては震えるミモロです。確かに、ここで転んだら大変…と思わせる勾配で、足がすくみます。
ミモロ、登り始めた以上、引き返すのも大変だから、がんばって~。
なんとか石段をのぼり終えたミモロの前に、巨大な岩が姿を見せました。

「うわ~大きい~」
注連縄が撒かれたゴトビキ岩…そのそばには小さな社が…

「お詣りしなきゃ…」とミモロは、また力を振り絞って石段を上がります。

そこは、まさに神様が降りたったことを想像させる場所。そこで参拝後、岩づたいにそばの岩へ。

ちょっと奥まった岩、古代は、ここで祭事などを行ったのでしょうか、岩の間からは、弥生時代の銅鐸なども発見させているそう。


ここにもしっかりお詣りを…。
すべてのお詣りを終えて、ふと目を上げると、そこには、青い海と新宮の町が眼下に広がっていました。

「クマちゃん、お詣りに来たの?」と地元の高校生。陸上部部員の彼女たち、あの急な石段は、トレーニングコースなのだそう。

「クマじゃないんだけど…ここ、熊野だからまぁいいか~」と小さな声で…。
世界遺産の熊野…そこは自然と信仰が今も古代から続く場所。
「やっぱり人生1度は、熊野詣しなくちゃね~。ほんと来てよかった~」と、三山をめぐったミモロの顔には達成感があふれます。
さぁ、そろそろお山を下りましょ!
突然、顔の毛が逆立つミモロ。「ゲ~また、あの石段下るんでしょ…どうしよう…ガタガタ~」と、恐怖で震えています。でも、登ったからには、降りないと…。「う~ん」と足がすくんで動けません。勝浦で、まぐろ料理食べない?一瞬、ミモロの目がキラリ。「食べる~勝浦に来てまぐろ食べないなんて、ありえない…」と、急に勇気が体にみなぎります。そして…

石段を一段一段、石にしがみつきながら下ります。そう、ゆっくり、下を見ないで~。
のぼりより、時間がかかった下り…。やっとなんとか地上に到着。ホ~とした顔に…。
すかさず「早く、まぐろ食べようよ~」と、車に駆け足で、急ぎます。
*急な石段の脇に、いくぶん傾斜ななだらかな石段がありますので、足に自信のない方は、そちらへ。
*「熊野速玉大社」の詳しい情報は、ホームページで。

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