平安・鎌倉時代、京都から、後白河上皇をはじめ、多くの貴族たちが、護衛の武士やおつきの女官など、なんと数百人を従えてやってきたという「熊野三山」。次第に、庶民の間でも、熊野詣が盛んに行われるようになり、京都から熊野への道には、まるで蟻の行列のように、人の列が続いたのだそう。
そんな京都の貴族たちが目指し、長い道中の後に、最初に参拝したのが、奥深い山の中にある「熊野本宮大社」です。
ここは、熊野三山(本宮、速玉、那智の各大社)の中心地にあり、全国3000社以上の熊野神社の総本宮なのです。
鳥居から、杉木立の中を158段の階段をのぼり、社殿へと向かいます。
「う~なかなかきつい…」ゆっくりゆっくり1歩ずつ、心を鎮めながら進みます。
ついにミモロも、社殿の門にしめられた大きな注連縄を前に…
「なんか緊張しちゃう…」と、引き締まった顔つきに…。
静寂と清らかな気にあふれた「熊野本宮大社」。現在の社殿は、明治22年の熊野川の大洪水で、なんとか流出を免れたものを、そのままこの地に移築したもの。「やっと来れた~」とただ一言…。
ミモロは、電車や車で京都から半日かけてここに到着。でも、平安時代の人たちは、約1週間かけて、大阪から「九十九王子」の続く参詣道を、はるばる歩いて来たのです。厳しい山道のつづく道中は、決して楽なものではありません。その苦しみを経て目にした「熊野本宮大社」の姿は、ミモロの感激をはるかに超えたものだったに違いありません。
さて、社殿は、向かって左から、夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまおおかみ)の両神様。中央は、主神となる家津美子大神(けつみのおおかみ)。そして右に天照大神(あまれたすおおみかみ)が鎮座されています。
ご主神の家津美子大神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。「京都の八坂神社の神様と同じだ~」と、よくお詣りする神社を思い出します。
参拝の順番は、主神から、次に速玉大神、そのお隣りの夫須美大神、そして最後に天照大神へ。
2013年に葺き替えられた社殿。清々しさもいっそう。
ミモロもそれぞれの神様に、深々と参拝。そのありがたさに涙目になっています。
さて、念願の参拝を終えて、境内を歩くことに…
「あ、平安時代の人たち…」
京都から参拝に訪れた人たちを思い起こさせる装束の方。そして係りの方が「これ、どうぞ…」と、ミモロに神社の資料をくださいました。
境内の至るとこで目立つのは、八咫烏のマーク。
3本の足をもつ八咫烏は、熊野の神様のお仕えで、神武天皇を吉野まで先導したことから、導きの神として篤い信仰を集めています。3本の足は、それぞれ「天・地・人」を表すとか、また「智・仁・勇」の三徳の象徴などと言われています。
「日本サッカー協会」のマークもこの八咫烏でおなじみですね。「3本足があれば、ゴールしやすいかもね~」とミモロの解釈。
「おみくじも、お守り八咫烏だ~」
そして拝殿そばのポストの上にも八咫烏。そして投函できる「八咫烏ポスト絵馬」も用意されていました。
「これでお便りもらったらうれしいかも…」と、ミモロもお友達に送ろうとしましたが、いつもメールで住所がわかりません。
「これなあに~」とミモロが見上げたのは…
「熊野牛王神符」(くまのごおうしんぷ)です。
これは、カラス文字で書かれた熊野三山特有の神符で、それぞれの大社によりデザインが異なります。ミモロは、これを集めることに…。小さな神符で1枚500円。
ミモロが訪れた熊野は、ちょうど春爛漫の時期で桜が山の緑の中で艶やかに咲き誇っていました。
*旅のおすすめ
熊野三山のそれぞれの大社の前でしか売られていない「熊野もうで餅」。「おみやげにどうですか~」と。
これもそれぞれの大社でパッケージデザインが異なります。中身は同じ…。ほんのり甘いお餅は、旅の疲れを癒してくれます。
*「熊野本宮大社」の詳しい情報はホームページで
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