京阪の「枚方市駅」から隣りの「枚方公園駅」まで、淀川沿いに続く京街道は、京都と大阪が結ぶ街道。東海道の56番目の宿場町「枚方宿」は、その要所です。
「あの~東海道って五十三次じゃないの?」と鋭いミモロ。そう、江戸から京までは五十三次ですが、その延長として大阪まで、江戸初期に、京街道の宿場が、4つプラスされ、全部で五十七次と呼ばれます。ちなみに最後の宿場は、守口宿です。
淀川水運の港としても栄え、参勤交代の大名行列が泊まった宿場町で、当時の賑わいが想像できる大きな宿場です。
その街道沿いに今も、当時の面影を留めるのが、かつて船待ち宿で、近代は、料亭旅館として平成9年まで営業していた「鍵屋」です。

現在は、「市立枚方宿鍵屋資料館」として、宿場の歴史資料などを展示しています。


「入ってみよう~」とミモロは、奥へと進みます。入館料200円を納め、館内へ。


ここは、別館で、昭和3年の建築。料理旅館だった時代の建物です。


ここは、宴会場だった大広間。現在は、毎月第2日曜に「大広間茶屋」が開かれ、枚方宿の名物が味わえます。


ミモロは、名物の「ごんぼ汁」200円をいただきました。「くらわんか鮨食べたかったけど、売り切れだって~残念…」
ごぼうが入った汁に舌鼓。
かつて淀川を渡る船の乗客に、今でいうケータリングサービスのような「くらわんか船」が近づいて、料理やお酒などを売っていました。乱暴な言葉遣いが特徴で「酒くらわんか~。餅くらわんか~」と船客相手に呼びかけていたそう。そこで用いられてたのが「くらわんか茶碗」と呼ばれる器で、淀川の底から今も見つかることがあるとか。食べ終わった人が捨てたらしいといわれます。


資料室には、欠けた「くらわんか茶碗」などが展示されています。
「え~そんなことしたら、川汚れちゃうじゃない!」とミモロ。当時は環境問題は考えられていなかったので…。
さて、ミモロが大広間で寛いでいると。「いらっしゃい~」と陽気な声。枚方のキャラクターの「くらわんこ」です。

「こんにちは~ミモロです。京都市のおもてなし観光大使のパートナーです」と自己紹介。
「ここからの眺めがいいんだよ~」とくらわんこ君が窓際に案内します。


淀川を望む窓からは、六甲山から比叡山まで望めるそう。「え~ここから比叡山見えるの?どうも方向がつかめない~」とミモロ。
ともかく開放的な眺めが広がります。「今度、枚方宿案内して欲しいなぁ~」とミモロ。「ええよ~でも、暑いときは勘弁してほしなぁ~」とくらわんこ君。「うん、毛皮だから暑いよね~」と、猛暑の夏の町歩きは大変そうと、理解したミモロなのでした。二人(二匹)は、再会を約束して別れました。
別館から街道に面した主屋へ。


ここは、文化8年(1811)の町家建築です。
「籠もある~」当時使わていたものも展示されています。

「興味をもっていただけましたか?」と資料館の辻他館長。


というミモロ。「くらわんか鮨食べなくちゃ~」と思っているのでした。
展示スペースには、枚方宿の歴史を物語る品々や貴重な資料がさまざま。ぜひゆっくり・・・
「枚方って、ひらかたパークしか知らなかった~。こんな歴史がある町だったん~」と。
古い町並みが残る街道の町。「また来よう~」と思うミモロです。

京阪電車で「出町柳駅」から特急で30分。京都からちょっと足を延ばせば到着します。
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