昨夜11時頃からちょっと冷たい物が落ちてきていました。
その時はそれほどの降りになるとは思わなかったのですが、朝起きてみてびつくり。
25Cmもの積雪になっていました。

庭のハナミズキ(花水木)の枝にも、

間もなく開花しそうなソシンロウバイ(素心蝋梅)の蕾の上にも、
雪が積もっていました。
沢村のアメダスのデータでは33Cmの積雪になったようです。
その時はそれほどの降りになるとは思わなかったのですが、朝起きてみてびつくり。
25Cmもの積雪になっていました。

庭のハナミズキ(花水木)の枝にも、

間もなく開花しそうなソシンロウバイ(素心蝋梅)の蕾の上にも、
雪が積もっていました。
沢村のアメダスのデータでは33Cmの積雪になったようです。
昨日の事になりますが、夕方5時過ぎに飛行機が西から東に向かって飛んでいました。
見ると飛行機の後ろにできたちょっと短めの飛行機雲に夕日があたり、オレンジ色に染め上げられていました。






綺麗でした。
ちょっと得をした気分になりました。
見ると飛行機の後ろにできたちょっと短めの飛行機雲に夕日があたり、オレンジ色に染め上げられていました。






綺麗でした。
ちょっと得をした気分になりました。

田川の流れにカルガモ(軽鴨)、コサギ(小鷺)、カワウ(川鵜)が集っていました。
集っていたという表現は適切ではないと思いますが、雰囲気としては「集っていた」を使いたくなってしまいます。
三九郎(さんくろう)
三九郎(さんくろう)は小正月に行われる子供中心の行事で、注連縄・松飾り・達磨などを集めて燃やし神送りをする行事です。
この三九郎の火で焼いた繭玉(まゆだま)を食べると、一年間無病息災で過ごせると言われています。

写真のように芯棒を組み立てます。
写真のものは芯棒が3本ですが、3本以上の芯棒を立てるものもあります。

私が育った地区では、「呼び三九郎」、「小三九郎」、「大三九郎」の三つを建てていました。
「呼び三九郎」はもじ通り、これから三九郎を始めますというお知らせのために燃やします。
その後、小三九郎、大三九郎の順に火をつけて行きます。
昔は、「呼び三九郎」に火をつける前に、
≪さんくーろー じんくーろー 、じっさとばばさでまごつれて さんくーろーにきておくれ≫
と歌いながら子供たちが村内をねり歩きました。

いよいよ「大三九郎」への点火です。

稲藁が沢山入っていますので、瞬く間に大きな火の柱がたちます。




この三九郎の火で「繭玉」を焼き(炙り)、一年間の無病息災を願い食べます。

「繭玉」 のいろいろです。
最近はとてもカラフルになってきましたし、いろいろな形のものを見る事が出来ます。
最近は三九郎(さんくろう)に火を点ける日に、町内(集落内)を子供が回り「松集め」を行い、三九郎に門松や達磨等を取り付けます。

旧市街地での「松集め」の様子。
三九郎の語源
松本市の2006年1月15日号の広報に三九郎の呼び名について記載されていましたので、紹介したいと思います。
「三九郎」の呼称は諸説有って良く分らない、というのが結論でした。
市立博物館に残る資料によると、1678年正月に出された触書には「左義長(さぎちょう)」と記されていたのそうです。
諸説(1) 道祖神の「神主福間三九郎」のお札が配られたことによる人名説。
諸説(2) 三九郎と呼ぶ木製の人形を備えることから人形名に起因する説
諸説(3) 凶作・重税・疾病の三つの苦労=三九郎とする説。
諸説(4) 三本の柱を立てて九段に横木を渡す説。
諸説(5) 松本城を築いた石川氏時代の文書に三九郎という人物が三人登場していることから、石川氏との関係が深いのではという説。
何れにしても、300年を越えて伝わってきた行事です。
三九郎のいろいろ
・松本市内では凡そ450箇所で三九郎が建てられています。
・成人の日が1月の第二月曜日に変更になる前は、殆どの地区が15日の夕方6時頃に点火していました。
・無病息災を願う小正月の行事。
・全国的には「どんど焼き」・「どんと焼き」と言われているようです。
・書初め(かきぞめ)をこの三九郎の火で燃やすと、字がきれいに書けるようになるそうです。
・竈(かまど)が各家庭にあった頃は、この三九郎の焦げた柱を切りわけ、各家庭に子供たちが売り歩きました。
これを竈に入れることにより、一年間火による災いがおこらないと言われました。
いろいろな三九郎







このblog内の三九郎の記事

北アルプスの山並みには雪雲が一日中かかっていました。
昨日の最低気温は氷点下7.5度。
今日の最低気温は0.2度。
なんと昨日と今日の最低気温の温度差は7.7度です。
年をとるにつれ、温度差が大きくなると体の調節機能が温度変化について行く事が出来ません。
なんか、風邪をひいてしまいそうです。
1月23日(土)~24日(日)に第30回国宝松本城氷彫フェステバルが開催されますが、長期予報を見ると1月23日(土)は最高気温が0度、最低気温が氷点下4度と予報されています。
絶好の氷彫フェステバル日和になるかもしれません。

富士電機工場群から立ち上がる水蒸気柱です。
この水蒸気柱の高さを見るとかなり冷え込んだことがわかります。
今朝の最低気温は沢村のアメダスのデータで氷点下7.5度、在の我が家はもう少し冷えこみが強かったのではないかと思います。
寒気が入ったのと、晴れて無風状態で放射冷却が起こった事で冷え込みが強くなったのかもしれません。
1月23日(土)~24日(日)に第30回国宝松本城氷彫フェステバルが開催されますが、この開催期間中は今日ぐらいに冷えてくれるとよいのですが。

つい最近購入する事ができた昭和58年3月31日に発行された「波田町誌自然民族編」をみて、波田の御柱について色々な情報を得ることができました。
※旧波田町内では上波田の上町・中町・下町だけで行われる独特の行事で、豊作祈願、厄除けを祈念する行事。
※丁場(町場)毎に一本の御柱を建てる。
※以前は、十四日の朝建て、二十日の朝倒す小正月の行事であったが、最近は七日に建て、十四日に倒すようになった。
※昔の御柱の高さは七間(約14m)程もあった。
※御柱の頂にシンボクを飾り、シンボクを挟んで東西南北を飾る。
※カンノミズは柱の中ほどにつけられる。
※シンボクは美濃紙(白色)を使うが、他のオンベは五色の紙を裁ってつくる。
※細く切り込みを入れた色紙を割り竹に巻きつけたヤナギ(柳)もつくられる。
※根元は五色の短冊で五段松で飾られる。
※町内の女性衆に頼んで、布で毬や巾着を作ってもらいオンベに吊るす。


上二枚の写真は「毬」と呼ばれるものになります。
※毬や巾着は高い所に吊るされるほど針の手があがり裁縫が上手になると喜ばれたが、波田上町では吊るす位置が上下になるのは不公平だとし、横に張った綱につるしている。

波田上町の御柱の元を飾る五段松には「 上 丁 」の文字が切り抜かれた短冊が取り付けられています。
この「丁」が何なのか今まで恥ずかしながら全く分からなかったのですが、ようやく分かりました。
「丁」は「町」と同じでした。

この波田上町の御柱が建てられている近くに「若澤寺の丁石(町石)」という説明版があり、その中に記載されていた「丁石(町石)」がヒントになり、ネットで調べましたら、『丁は町すじの区分。「チョウ」と読む。また、「町」と同じに用いる。』とありました。
これから「 上 丁 」は「上町」ということが理解できました。
以前、Bookoffで「幻の大寺院若沢寺を読みとく」(あずさ書店刊)を500円ほどで購入したのですが、まだしっかり読んでありません。
なるべく早く一気に読んでしまいたいと思っています。