園長です。
青森県南部地方は、ほとんどが「デーリー東北」という新聞を取っています。青森県全体では「郷土の新聞東奥日報」が多いと思いますが、我が家はへそ曲がりが多いので「読売新聞」をとっています。お悔み欄はさすがに「デーリー東北」の方が詳しく参考になるのですが、内容は断然全国紙の方が充実しているようです。実家では「朝日新聞」をとっていて「天声人語」は受験にも出題された受験生にとっては勉強になる新聞でした。
さて、その読売新聞ですが、毎週土曜日に「よみうり通信」という地方での出来事イベント紹介などが載った瓦版的なものがあります。その中で、毎週楽しみに読ませてもらっているコーナーがあります。「さわやか和尚さんのさわやか説法」というコーナーで、私の大学の先輩であり、八戸市議会議員でもある高山氏が執筆しているコーナーです。仏の教えを自分の体験を交えて、面白おかしく説法しているのです。今週と先週号には、高山さんがアルバイトをしていたころの話が掲載されていましたが、実は私も高山さんが住んでいたアパートに3年くらい一緒に(同居していたわけではない。同じアパートだったというだけ。)いたので、地理的なことや当時の出来事など、手に取るようにわかります。同じアパートの2階。5部屋のうちの廊下を挟んで南と北の正反対の部屋でしたが、3年くらい「同じ釜の飯」を食べた中でもあります。ただ、当時は私が2年生、高山さんは大学院で雲の上のような先輩でした。先輩の部屋は、お客さんが多く、夜な夜な・・・・・、おっとこの先は個人情報の世界なので、先輩からお許しが出てから書くことにします。
この中に、「枝川」という鰻屋さんが出てくるのですが、実は先輩が仕事をしている現実を私も一人の客として「目撃」しています。あの話は決して作り話ではなく実話であることを私が証明します。といっても、私も貧乏学生だったので「枝川」にはめったにいけませんでしたが、友人が泊まりに来た時などは「出前」など頼んだりしていました。枝川に行っても鰻を食べたのは1回だけ。土用の丑の日にたまたまアルバイトの給料がはいった日に食べただけでした。いつも食べたのは「エビフライ」です。今考えると出所が怪しいと思えるような「巨大なエビ」(私たちは伊勢海老だと思っていた。)がこんがりきつね色に揚がって出てきました。当時は高級食材とはどんなものかもわからないで食べていました。店の中に「甲斐犬」が飼ってあり、お客と戯れていたのを覚えています。今だととんでもないクレームが付きそうです。高山さんの結婚式には枝川のご主人も列席され、こともあろうに私に「八戸で一番寿司がうまい店に連れて行ってくれ。」と言われ、普段でも寿司を食べたことのない私はうろたえたことを思い出します。その時は「寿司重」という今はなくなった結構有名な店を紹介したのですが、それで合っていたのかどうかも分かりませんでした。まだ大学を卒業して1年目、今ほど「食」に関心があるわけでもなく、薄給なわが身にはとてもハードルの高い要望でした。
このさわやか和尚さんのさわやか説法を読んでいると学生時代の駒澤大学界隈のことを思い出します。先輩に最初に出ったのも衝撃的でした。私が高山さんが住んでいた「内畠荘」へ引っ越しをした2,3日後の夜、先輩が部屋のドアをたたき「メンバーが一人足りないのでいかがですか?」と誘いに来たのでした。何の誘いかというと「マージャン」です。これをきっかけに泥沼へとはまり込んでいったのです。高山さんとのエピソードは、たくさんあるのですが、なかなか情報公開できない出来事が多く、そのうちゆっくりご紹介したいと思います。まずは、市議会議員選挙2期目当選おめでとうございます。これからもしっかり八戸のために働いてください。私も選挙以外のことであれば微力ながら協力したいと思います。