園長です。
12月19日は私にとって特別な日です。今日は朝からしばれていました。8年前も5年前も寒い朝でした。父が亡くなったのは平成13年12月19日、母がクモ膜下出血で亡くなったのが平成16年12月19日。母は倒れたのが11月下旬でしたが、その後一度も意識を回復することなく、父の命日を待っていたかのように12月19日に息を引き取りました。亡くなるまでの約1カ月間、兄弟で順番に看護しました。話しかけても応えるわけでもなく、人工呼吸により規則正しく呼吸していましたが、奇蹟が起ることを祈りながらベッドの上の母の顔を見つめていたのを思い出します。それまで12月は楽しく、待ち遠しい月でしたが、今は、寒くて辛い、物哀しい月になりました。
今年は、結婚式も多かったのですが、葬式も多くありました。80歳を超えた人の葬式は、悲しいながらも、ややあきらめがつくものの、60歳前後、まして30代、40代で亡くなった人の葬式は、辛い場面が多く、涙を誘います。昨日も、よその保育園の園長の葬式に参列しましたが、主任保育士の涙の弔辞には心を打たれました。「今まで本当にありがとうございました。」という言葉に、重い感謝の気持ちがにじみ出ていました。葬式に良いも悪いもありませんが、感動的な葬式だったことは間違いありません。
今日は、お墓に行き、線香をあげてきました。薄く積もった雪を払いながら、忙しぶりをして、なかなかお墓参りに来なかったお詫びをしながら、少しの時間でしたが、近況報告と感謝の気持ちを込めて手を合わせました。生きているときは、生意気なことばかり言い、困らせてばかりいましたが、この年になり親のありがたみ、深い愛情を感じるようになりました。「親孝行、したいときには親はなし。」と言いますが、本当に残念な気持ちがします。失ってから感じるありがたさは辛いものです。これからも12月19日は確実に私が生きている間はやってきます。一生楽しい思い出になることはないと思いますが、大事な日にしたいと思います。
実は孫の誕生日が12月20日なのです。娘は19日は生みたくないと、頑張って1日遅らせて生んだそうです。生と死・・12月19日はいろんな思いを巡らせてくれる日です。
12月19日は私にとって特別な日です。今日は朝からしばれていました。8年前も5年前も寒い朝でした。父が亡くなったのは平成13年12月19日、母がクモ膜下出血で亡くなったのが平成16年12月19日。母は倒れたのが11月下旬でしたが、その後一度も意識を回復することなく、父の命日を待っていたかのように12月19日に息を引き取りました。亡くなるまでの約1カ月間、兄弟で順番に看護しました。話しかけても応えるわけでもなく、人工呼吸により規則正しく呼吸していましたが、奇蹟が起ることを祈りながらベッドの上の母の顔を見つめていたのを思い出します。それまで12月は楽しく、待ち遠しい月でしたが、今は、寒くて辛い、物哀しい月になりました。
今年は、結婚式も多かったのですが、葬式も多くありました。80歳を超えた人の葬式は、悲しいながらも、ややあきらめがつくものの、60歳前後、まして30代、40代で亡くなった人の葬式は、辛い場面が多く、涙を誘います。昨日も、よその保育園の園長の葬式に参列しましたが、主任保育士の涙の弔辞には心を打たれました。「今まで本当にありがとうございました。」という言葉に、重い感謝の気持ちがにじみ出ていました。葬式に良いも悪いもありませんが、感動的な葬式だったことは間違いありません。
今日は、お墓に行き、線香をあげてきました。薄く積もった雪を払いながら、忙しぶりをして、なかなかお墓参りに来なかったお詫びをしながら、少しの時間でしたが、近況報告と感謝の気持ちを込めて手を合わせました。生きているときは、生意気なことばかり言い、困らせてばかりいましたが、この年になり親のありがたみ、深い愛情を感じるようになりました。「親孝行、したいときには親はなし。」と言いますが、本当に残念な気持ちがします。失ってから感じるありがたさは辛いものです。これからも12月19日は確実に私が生きている間はやってきます。一生楽しい思い出になることはないと思いますが、大事な日にしたいと思います。
実は孫の誕生日が12月20日なのです。娘は19日は生みたくないと、頑張って1日遅らせて生んだそうです。生と死・・12月19日はいろんな思いを巡らせてくれる日です。
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