丁度1年前のことだ。
2週にわたり、こんなプロローグから、
『もう一度行きたい』とブログを記した。
『そうか、紅葉の素敵な美しさの後は、
寒さの到来か。
風邪で体調を崩した昨年の冬を思い出した。
やけに不安がつのる。
こんな時は、旅でもしたくなる。
「旅支度を急ぎ、明日にでも出掛けよう。」
そんな心づもりなどない。
今は、いつか機会があったら、そんな程度。
さてさて、どこへ行きたい?』
そうして、<1>長崎、<2>槍ヶ岳、<3>盛岡、<4>西表島、<5>石和と、
私の足跡を綴った。
季節は同じ、やはり『こんな時は、旅でもしたくなる。』
2つ程、想いを追記する。
<6> 毎年、家内の友だちSさんがご夫婦でゴルフをしに、
東京からやってくる。
2泊3日で2ラウンドを、4人で回る。
気心の知れた、年中行事だ。
今年は、私の好きな『北海道の6月』を選んでもらった。
スコアは別として、綺麗な緑色の中、
楽しい3日間だった。
帰り際、互いに1年後の再会が遠くに思えた。
「それじゃ今度は、私たちが東京へ行った時にでも・・。」
「それがいい。」
「それ、いつになりそう・・?」
そんな会話の只中、Sさんから突然の提案があった。
「一度『風里』に行きたいの。一緒に行けないかしら・・。」
そこから、計画はとんとん拍子に進んだ。
10月初旬、中部国際空港で待ち合わせ。
レンタカーで2時間半、
長野県木曽の開田高原にある『風里』へ。
この宿については、
16年11月のブログ「禅語『喫茶去』から」で触れた。
現職の頃に、毎年1,2回は出掛けた所だ。
以下、ブログの一節を転記する。
『大自然の中に、ぽつりと佇む温泉宿だ。
正確な部屋数は知らないが、20室程度かと思う。
宿の前にある駐車場に車を止めると、
すぐにオルゴールの音色が流れるサロンに案内される。
見慣れた顔のスタッフさんが、
口数少なく、席を勧めてくれる。
ほっとくつろぐ私を見て、一杯のお茶を持ってくる。
その瞬間から、翌日「またのお越しをお待ちしてます。」まで、
全ての押し付けを排除した、静寂の時を私は過ごす。
片道4時間をかけてでも、そこへ行こうと思いたつ日。
それは、私自身の何かが、煮詰まってしまいそうな、
そんな想いの時だ。
しかし、宿までの長い道に流れる景色もいい。
高原の穏やかな緑色もいい。
『風が佇むふる里』と詠む温泉宿の湯煙もいい。
いつだって、その全てが、私を迎え入れてくれる。
逆なでされたような心が、少しずつ潤っていくのだ。』
8年ぶりだった。
宿の造り、スタッフさん、その迎え方などの全てが、
『風里』は、『風里』のままだった。
部屋のデッキから見える御嶽山は、
数年前に大噴火し、沢山の犠牲者を出した。
穏やかな山容からは想像できない惨事だった。
以来、初めて御嶽山を見た。
変わらないその姿に見とれながらも、
心の痛みを感じていた。
そこだけが、以前と違った。
わずか一夜だが、
「もう一度、行きたい」、
その願いが叶った。
ご一緒したSさんは、
「『風里』、サイコウ!!」
を、何度も口にした。
そして、帰り際、
「来年も、また、ここに来ましょうよ。」
とくり返した。
『風里』は、そう言わせてしまう宿なのだ。
<7> 9月下旬、今年も『旭川ハーフマラソン』を走った。
その様子は、10月12日のブログ『71歳の新秋』で記した。
そのハーフマラソン以来、
「もう一度、行きたい」と強く願う場所がある。
旭川を走るのは、5回目だったが、
今年はじめて気づいたことがあった。
スタートから10キロを過ぎてから、旭橋を渡る。
その後、大きく向きを変えて、常盤公園内へ入る。
この辺りで、毎回、苦しい走りが始まる。
だから、公園内を見渡すゆとりがなかった。
なのに、今年は、園内の道立旭川美術館前に、
大きな銅像があり、それに目がいった。
その像が、ブールデルの『雄弁』のような気がした。
ここに、『雄弁』があるとは思えなかった。
だが、記憶にあるあの力強い像によく似ていた。
後日、ネットで調べた。
間違いなかった。
すると、突然蘇った。
箱根にある『彫刻の森美術館』は、7万㎡の広大な庭園に
120点もの野外彫刻が展示されている。
そのメイン広場とも言える所に、
ブールデルの作品『雄弁』そして『力』『勝利』『自由』の勇姿が、
立ち並んでいる。
まだ20代の頃、勤務校の図工の先生に案内され、
その美術館を訪ねた。
その時、初めて彫刻に正対したのだと思う。
最初に、この4体の勇姿に圧倒された。
それぞれが発する『強さ』を、唖然と見上げていた。
「すごい!」と思うと同時に、
それぞれが発する真実の叫びに、押し倒されそうになった。
そして、もう1つ。
ロダンの『バルザック』だ。
マントを被った大きな体が、
やや見上げた、その反り返るような立ち姿から、
あふれ出るエネルギーが、伝わってきた。
ブロンズ像なのに、その力感に押され、
私は、近寄れなかった。
それから、何度も箱根まで足を運んだ。
ブールデルとロダンのその像に、時を忘れた。
彫刻、いや芸術作品の意味するところを探求などできない。
だが、その像の前に立つたびに、勇気づけられ、励まされ、
私の中に何かがみなぎった。
もう20年も、遠のいたままだ。
今なら、どんな対面ができるのだろう。
箱根の山々に囲まれ、佇むあの像の前に、
そっと歩み寄ってみたい。
きっと、「よおし!」なんて、
この歳でも、新しい力が湧き出すに違いない。
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有 珠 山 初 冠 雪
2週にわたり、こんなプロローグから、
『もう一度行きたい』とブログを記した。
『そうか、紅葉の素敵な美しさの後は、
寒さの到来か。
風邪で体調を崩した昨年の冬を思い出した。
やけに不安がつのる。
こんな時は、旅でもしたくなる。
「旅支度を急ぎ、明日にでも出掛けよう。」
そんな心づもりなどない。
今は、いつか機会があったら、そんな程度。
さてさて、どこへ行きたい?』
そうして、<1>長崎、<2>槍ヶ岳、<3>盛岡、<4>西表島、<5>石和と、
私の足跡を綴った。
季節は同じ、やはり『こんな時は、旅でもしたくなる。』
2つ程、想いを追記する。
<6> 毎年、家内の友だちSさんがご夫婦でゴルフをしに、
東京からやってくる。
2泊3日で2ラウンドを、4人で回る。
気心の知れた、年中行事だ。
今年は、私の好きな『北海道の6月』を選んでもらった。
スコアは別として、綺麗な緑色の中、
楽しい3日間だった。
帰り際、互いに1年後の再会が遠くに思えた。
「それじゃ今度は、私たちが東京へ行った時にでも・・。」
「それがいい。」
「それ、いつになりそう・・?」
そんな会話の只中、Sさんから突然の提案があった。
「一度『風里』に行きたいの。一緒に行けないかしら・・。」
そこから、計画はとんとん拍子に進んだ。
10月初旬、中部国際空港で待ち合わせ。
レンタカーで2時間半、
長野県木曽の開田高原にある『風里』へ。
この宿については、
16年11月のブログ「禅語『喫茶去』から」で触れた。
現職の頃に、毎年1,2回は出掛けた所だ。
以下、ブログの一節を転記する。
『大自然の中に、ぽつりと佇む温泉宿だ。
正確な部屋数は知らないが、20室程度かと思う。
宿の前にある駐車場に車を止めると、
すぐにオルゴールの音色が流れるサロンに案内される。
見慣れた顔のスタッフさんが、
口数少なく、席を勧めてくれる。
ほっとくつろぐ私を見て、一杯のお茶を持ってくる。
その瞬間から、翌日「またのお越しをお待ちしてます。」まで、
全ての押し付けを排除した、静寂の時を私は過ごす。
片道4時間をかけてでも、そこへ行こうと思いたつ日。
それは、私自身の何かが、煮詰まってしまいそうな、
そんな想いの時だ。
しかし、宿までの長い道に流れる景色もいい。
高原の穏やかな緑色もいい。
『風が佇むふる里』と詠む温泉宿の湯煙もいい。
いつだって、その全てが、私を迎え入れてくれる。
逆なでされたような心が、少しずつ潤っていくのだ。』
8年ぶりだった。
宿の造り、スタッフさん、その迎え方などの全てが、
『風里』は、『風里』のままだった。
部屋のデッキから見える御嶽山は、
数年前に大噴火し、沢山の犠牲者を出した。
穏やかな山容からは想像できない惨事だった。
以来、初めて御嶽山を見た。
変わらないその姿に見とれながらも、
心の痛みを感じていた。
そこだけが、以前と違った。
わずか一夜だが、
「もう一度、行きたい」、
その願いが叶った。
ご一緒したSさんは、
「『風里』、サイコウ!!」
を、何度も口にした。
そして、帰り際、
「来年も、また、ここに来ましょうよ。」
とくり返した。
『風里』は、そう言わせてしまう宿なのだ。
<7> 9月下旬、今年も『旭川ハーフマラソン』を走った。
その様子は、10月12日のブログ『71歳の新秋』で記した。
そのハーフマラソン以来、
「もう一度、行きたい」と強く願う場所がある。
旭川を走るのは、5回目だったが、
今年はじめて気づいたことがあった。
スタートから10キロを過ぎてから、旭橋を渡る。
その後、大きく向きを変えて、常盤公園内へ入る。
この辺りで、毎回、苦しい走りが始まる。
だから、公園内を見渡すゆとりがなかった。
なのに、今年は、園内の道立旭川美術館前に、
大きな銅像があり、それに目がいった。
その像が、ブールデルの『雄弁』のような気がした。
ここに、『雄弁』があるとは思えなかった。
だが、記憶にあるあの力強い像によく似ていた。
後日、ネットで調べた。
間違いなかった。
すると、突然蘇った。
箱根にある『彫刻の森美術館』は、7万㎡の広大な庭園に
120点もの野外彫刻が展示されている。
そのメイン広場とも言える所に、
ブールデルの作品『雄弁』そして『力』『勝利』『自由』の勇姿が、
立ち並んでいる。
まだ20代の頃、勤務校の図工の先生に案内され、
その美術館を訪ねた。
その時、初めて彫刻に正対したのだと思う。
最初に、この4体の勇姿に圧倒された。
それぞれが発する『強さ』を、唖然と見上げていた。
「すごい!」と思うと同時に、
それぞれが発する真実の叫びに、押し倒されそうになった。
そして、もう1つ。
ロダンの『バルザック』だ。
マントを被った大きな体が、
やや見上げた、その反り返るような立ち姿から、
あふれ出るエネルギーが、伝わってきた。
ブロンズ像なのに、その力感に押され、
私は、近寄れなかった。
それから、何度も箱根まで足を運んだ。
ブールデルとロダンのその像に、時を忘れた。
彫刻、いや芸術作品の意味するところを探求などできない。
だが、その像の前に立つたびに、勇気づけられ、励まされ、
私の中に何かがみなぎった。
もう20年も、遠のいたままだ。
今なら、どんな対面ができるのだろう。
箱根の山々に囲まれ、佇むあの像の前に、
そっと歩み寄ってみたい。
きっと、「よおし!」なんて、
この歳でも、新しい力が湧き出すに違いない。
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有 珠 山 初 冠 雪
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