平野郷夏祭り 2015 Vol. 1 ~神輿から宮入
862年この地域を荘園として有していた坂上当道(征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫)は氏神として京都祇園八坂神社より“素盞嗚尊”(スサノオ)を勧請し社殿を創建、これが杭全神社の始まりとされている。
祇園祭がそうであるように“流行る疫病を鎮め、健康祈願の為に夏祭りが始められた”と考えられている。
7月11日、「神輿川行神事(みこしかわゆきしんじ)」()として早朝からその年の宮入一番町が布団太鼓を担ぎ、大きな音を出してお神輿の道を清めたあと、午後にはその年の宮入二番町(今年は流町)が飾り付けをしていない“裸神輿”を平野川の樋尻口まで巡行する。
ここで、午後3時より、(お清めのこと)を行った。
平野郷夏祭りでは、だんじりばかりがクローズアップされるが、祭りの魂の部分として、この神事は見ておきたかった。
かつては本当に平野川まで担いで降りて、をしていたのだろう。
神事を終えた、お神輿はふたたび、杭全神社にお戻りになった。これが神輿宮入である。
宮入動画
神社へお戻りになられたお神輿は飾り付けられ、夜、暗闇の中で「神遷(かみうつし)」が執り行われた。
「神遷」とは氏神(素盞嗚尊)さまがお神輿へ移られること。
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862年この地域を荘園として有していた坂上当道(征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫)は氏神として京都祇園八坂神社より“素盞嗚尊”(スサノオ)を勧請し社殿を創建、これが杭全神社の始まりとされている。
祇園祭がそうであるように“流行る疫病を鎮め、健康祈願の為に夏祭りが始められた”と考えられている。
7月11日、「神輿川行神事(みこしかわゆきしんじ)」()として早朝からその年の宮入一番町が布団太鼓を担ぎ、大きな音を出してお神輿の道を清めたあと、午後にはその年の宮入二番町(今年は流町)が飾り付けをしていない“裸神輿”を平野川の樋尻口まで巡行する。
ここで、午後3時より、(お清めのこと)を行った。
平野郷夏祭りでは、だんじりばかりがクローズアップされるが、祭りの魂の部分として、この神事は見ておきたかった。
かつては本当に平野川まで担いで降りて、をしていたのだろう。
神事を終えた、お神輿はふたたび、杭全神社にお戻りになった。これが神輿宮入である。
宮入動画
神社へお戻りになられたお神輿は飾り付けられ、夜、暗闇の中で「神遷(かみうつし)」が執り行われた。
「神遷」とは氏神(素盞嗚尊)さまがお神輿へ移られること。
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