辞世の句 ~母の満中陰法要に寄せて ②
満中陰 (まんちゅういん)は「中陰が満ちる」つまり中陰の終わる日、「49日の忌が明ける日」という意味である。
中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、古代インド仏教では、人が亡くなってから次の生を受けるまでの49日間のことを指す。
日本の仏教では、七七日にあたる49日を区切りに極楽浄土に行けるかどうかの判決が下されるといわれている。
判決を下す閻魔様にも、これらの句を鑑賞していただきたいものである。
「菰ぬちの薄日にすがり寒牡丹」
春に咲く牡丹を温度管理などにより、人工的に冬に咲かせたのが「冬牡丹」。
それに対し、「寒牡丹」はもともと春と冬に咲く品種で、必要のないところには養分は送らないため、殆ど、葉がない。
菰を被り、寒さに耐えながら、一生懸命に咲いている「寒牡丹」が薄日に暖をとっている。
「雪渓を踏みしは昔山を恋ふ」
母は結婚前の銀行員時代に登山部に所属し各地の山を踏破していたようである。
そのなかでも、白馬大雪渓はもっとも印象的だったという。
(写真は立山室堂にて)
「踏みゆけば音ついてくる落葉道」
紅葉もさかりとなれば、大山寺参道は落ち葉で真っ赤に敷き詰められる。
歩めば、「サクッサクッ」と音がついてくるようだ。
「庭めでて雅び心の風炉手前」
私は大阪市平野区で従事しているが、平野区の名所を題材に絵葉書を作ったことがある。
約40~50種くらい作ったと思うが、そのうちの一つを母にお願いした。
写真をイラスト化したもので場所は「がんこ平野郷屋敷」。
「鳥の来てつらつら椿落しけり」
ジョウビタキは渡り鳥であるが、何故か人馴れしているようで、撮影者のすぐ近くまで来て、愛嬌を振りまくことがある。
春になると海を越えて、遠くモンゴルや中国西部、シベリア、サハリンへ渡るときく。
魂はどこまで飛んでいくのだろう。
「天近し信州山里 星月夜」
南信州の"しらびそ高原”は、たびたび出かける私のお気に入りスポットだが、両親を連れて行ったことがある。
中央アルプスと南アルプスを同時に眺望できる2000m級の展望台で夕陽だけでなく、月出と満天の星空も素晴らしい。
天は確かに近い。
「激つ瀬の飛沫の綺羅と紅葉谷」
今にも、激流の瀬音が聞こえてきそうな句である。紅葉が彩を添えている。
紅葉時に ”みたらい渓谷” や ”赤目四十八滝” などに連れていったが、こんな句を作っていたとは知らなかった。
「癒えぬ身の友の励まし春を待つ」
また、元気になって、俳句会に参加できるようになる日が来ることを願っていた。
俳句会のご友人の励ましを糧に身体が回復すると信じて作ったのだろう。
「露の世や 往生要集 源信忌」
いわゆる辞世の句はなかったが、この句が一番それに近いような気がする。
「喜美子・遺句集」編纂が、せめてもの弔いになれば ・・・・
百万回の ”ありがとう” を添えて。
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